経営資源を生かしきれない新規事業はいらない
続いて話題は、多くのアトツギが直面する課題「伝統や技術を守りつつ、いかに新しいことにチャレンジしていくか」に移り変わった。
最初に手を挙げた濱田は、職人である社員への想いを語った。日清鋼業は、社員数50名と小規模ながらも名古屋市にある本社の他に、同じ愛知県北西部の清須や群馬県、ベトナムにも拠点をもつ。濱田は副社長として社員全員の顔と名前を覚えているだけでなく、一人ひとりのキャラクターや仕事ぶりも把握しているという。社員を家族のように思い、温かな目で見守る、母のような存在だ。
「本業を守り続けてくれている彼らの技術と努力を、リスペクトしています。それだけに自分が新規事業をやっていていいのかと、日々葛藤しています。『ISOL.』は赤字こそ出していませんが、大きな利益を出しているわけでもありません。
当社は、父が切り板一枚から始めました。父が作ってくれた会社を、M&Aを重ねて大きくしてくれたのが私の夫である社長です。この経営資源を生かしきれない新規事業なら、社員に絶対に受け入れられない。自身で経理や財務など20年近くやってきた経験も全て生かしながら、最後には『副社長、よくやってくれた!』と言われる形にしなければ意味がないと思っています」(濱田)
生方も、200人いる自社の従業員の名前はもちろん、誕生日まで覚えていると話す。そして共に技術を受け継ぎ、挑戦を続ける社員への溢れる思いを口にした。
「製作所では、僕ひとりでは何もできない。心から社員みんなのことが大好きなんです。当社は零細企業で、大手企業のような高待遇はできません。だけど有名大学出身の社員もたくさんいて、人の命を守ることが好きで頑張ってくれている。
ご両親に『本当はうちの息子を御社にやりたくはなかった』などと怒られたりすることもありますが、社長としてできる恩返しは、そんな社員を幸せにすることだと思っています」(生方)
玉川は、東美濃の窯業の伝統技術が廃れてしまう危機感を露にした。
「いざ家業を盛り立てるために故郷に戻ってくると、周囲では倒産や廃業ばかり。鉱山から原料の粘土を掘り出すのですが、そこに大きな物流の工場が建ってしまったこともあります。産業の優先順位が大きく変わっていくなかで、私達が諦めたら伝統技術が途絶えてしまう。若い人材が東美濃の窯業の技術を守っていきたいと思えるきっかけを作ることが、重要だと考えました」(玉川)
そこで玉川が新規事業として起こしたのが、家業の釉薬を使った特注タイルのブランド『TILE made』だった。焼成条件や原材料で風合いが変化する独自の技術を生かした製品は、特に営業活動を行うことなく、順調に売れているという。
「小さな会社なので、新規事業の売り上げが全体の1割を占めるだけで社内がざわつくんです。娘さんが戻ってきて新しいことをやり始めたけど、売れているらしいよと。本業では、自分たちが作った釉薬が塗られたタイルがどこに貼られているかまで把握できないことが多いんです。だから釉薬職人に、どの企業とどんな仕事をしているかを伝えています。
先日は京王電鉄さんの特注タイルをつくらせていただき、オフィスに施工写真を飾ったところ、社内外から注目してもらうことができました。まわりとのコミュニケーションを大事にしながら、チャレンジしていきたいですね」(玉川)

アトツギだって、弱さを見せてもいい
セッション後半は、観客と本セッションのサポーターであるアトツギ経営者、約10名が5人1組になり、グループごとに登壇者へ質問を投げかける形で進められた。
「事業継承で逆境に陥ることもあったはず。どう乗り越えたのか」という問いに答えたのは、生方だ。生方製作所では生方が36歳で社長になり、それを歓迎しないベテラン社員がいたという。
「彼らが一番嫌がったのは、新体制になり生方製作所で彼らにとって居心地がよかった部分が変わってしまうこと。だから、『事業のコアは変えない。やり方を変える』と伝えました。それでも半数ぐらいは、若い私が跡を継ぐことを気に入らなかった。結局、ロジックではないんです。とにかく業績を上げて、給料を上げると宣言しました。そこから少しずつ変わっていきました」(生方)