宇宙

2025.02.01 16:00

ソ連の「宇宙飛行犬」ライカの悲劇 動物実験の倫理とは

ソ連の人工衛星スプートニク2号の容器に入れられたライカ(Sovfoto/Universal Images Group via Getty Images)

ライカの死によって残された不滅の遺産

ライカの飛行は、客観的に見れば、宇宙開発史上まれに見る偉業だった。ソ連は1957年10月、人類初の人工衛星としてスプートニク1号を地球周回軌道上に打ち上げ、成功した。そのわずか1カ月後に打ち上げられた史上2番目の人工衛星スプートニク2号は、宇宙飛行が生物に及ぼす影響を研究するために用意されたものだった。

だが、この計画は行程が厳しく、スプートニク2号はわずか数枚の大まかな図に基づいて、たった4週間で急ごしらえされた。言うまでもなく、この無謀な計画は東西冷戦のさなか、米国との宇宙開発競争でソ連が自国の技術的優位性を誇示したいという願望によって推し進められたものだった。

スプートニク2号の計画は画期的だったが、本質的な欠陥もあった。当時は人工衛星の大気圏への安全な再突入の技術が存在していなかったため、ソ連の政府高官はこの計画がライカの死に終わるという事実を事前に把握していた。米航空宇宙局(NASA)によると、ライカはわずか1週間分の食料と生命維持装置しか与えられていなかった。それにもかかわらず、ソ連当局はライカが地球周回軌道上で数日間生存していたと報告した。

ところが、それから数十年後の2002年、第2回世界宇宙会議で真実が明らかになった。ライカは打ち上げから数時間以内に死んだのだ。過熱とストレスにより、ライカはスプートニク2号が地球を4周する間に高体温症で死んだとみられることが明らかにされた。人工衛星の熱制御装置が故障し、内部の温度が致命的な水準にまで上昇した。これは科学者が事前に予想していたことだった。

ライカの非業(ひごう)の死は、避けることができたはずだ。この計画の無謀な行程と技術的な欠陥は、私たち人類が科学の進歩の名の下に犯してきた数多くの倫理面での妥協を浮き彫りにしている。
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翻訳・編集=安藤清香

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