例えば、今年5月にロンドンのレーヴン・ローというギャラリーで開催されていた『シンボルとして機能するものもある:ブラジルで制作されたアート、1950年代~70年代』が印象に残りました。20世紀半ばの約30年間に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ、サルバドール、サンパウロの3都市で制作されたアート作品が展示されていたのですが、「ブラジルの近代アートを知る」という単純な見方が通用しない、生き生きとした多様性に圧倒されました。
厳格に並べられた三角の抽象画の横には、ワイルドにサンバを踊る人の肖像画。アフリカ的なルーツを思わせる母子の木彫りを過ぎたかと思えば、表現の削ぎ落とされたシンプルな白い立体作品に出会う。
小さく狭い階段を上り下りし、各部屋や廊下に並べられた作品の間を歩いていると、さまざまな時間と空間の間や、民族性と国際性の間を飛び回されているような感覚に陥ります。意図的に支離滅裂に並べられた展示の構成によって、私の美術鑑賞の「地理感覚」が崩されたことで、ひとつひとつの作品の生き生きとした表現を新鮮な目で見ることができました。
少し背景を説明すると、1950年ごろのブラジルはサンパウロ・ビエンナーレという、ベネチア・ビエンナーレの次に歴史の古い国際的なアート展覧会が始まったり、サンパウロ美術館などの重要な国内文化施設が次々と建てられていた時期にありました。こういった国際的な文化交流を経て、当時のブラジルではヨーロッパやアメリカの幾何学模様や抽象的な形を取り入れた絵画作品に触発された「具体主義」というアートスタイルが大きな影響力を持ちます。具体主義は、理性的で秩序だった幾何学的モチーフを用いるスタイルで、サンパウロを中心に広まりました。
一方リオデジャネイロでは、それに対抗する形で、自由で感情的な表現に重きを置く「新具体主義」という新しいアート運動が起こります。この時期のブラジルの作品を語る際には、この具体主義と新具体主義という二つの流派がよく取り上げられます。
しかし、この展示で垣間見たのは、こうした流派の違いではなく、ブラジルの複雑な社会的状況や文化的な環境でした。そしてどの作品にも共通してあったのは、外来の表現方法を利用しつつも、「何かに意味を持たせたり、決まった形に縛られたくない。自由でありたい」という思いでした。
展示のキュレーターであるパブロ・ラフェンテとチアゴ・デ・パウラ・ソウザは、「作品を語る時には、その作品が他の作品とどう違うかよりもよりも、その作品がどんな関係性の中で生まれたのかを考えるべきだ」と主張します。ある作品を理解するために、時代や場所、他の作家との関わりあいなど、その背景にある関係性が見えてくると、作品の意味がより深く感じられるようになると考えます。