見過ごしがちな「関係性」にラグジュアリーのヒントがある

Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

前澤さんが取り上げる「ラベル付けからの回避」や「遊びが鍵」というテーマから即思い浮かんだのは、最近、出かけたマントヴァへの旅の経験です。
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マントヴァはミラノと同じロンバルディア州にあり、ミラノから東に160キロほど行ったところにある街です。人口5万に満たない小都市ですが、1300年代から1600年代初めまでゴンザーガ家が司るマントヴァ侯国が残した歴史的遺産に圧倒される場所で、拠点となったドゥカーレ宮殿はフランスのヴェルサイユ宮殿などと並ぶヨーロッパで有数な宮殿の一つです。

この宮殿と別荘として建てられたテ宮殿の両方で、ルネサンス(14世紀から16世紀)、マニエリスム(16世紀後半)、バロック(16世紀末から18世紀)と続く美術史の流れが、建物と絵画の一体となって実感できます。

現代ではローカルとしか言いようのない場所にローカルの輝くアートが詰まっている凄さに心を奪われました。ヨーロッパの大都市にある大きな美術館が往々にして政治的な力で他国から収奪した作品で埋まり、建物と作品の間に直接的なつながりがないのとは様相を異にしているわけです。 
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ぼく自身は美術史の専門でもないのでいつもざっくりとした感想を書くしかないのですが、長い間、美術史にラベル付けをしていた自らの先入観に振り回されていたのに気が付きました。マニエリスムやバロックをルネサンスと比較して低く見ていたのはもったいなかった、と。この反省には過去のぼくの経験が紐づいています。

イタリアで生活を始めた最初の街はトリノですが、バロック様式の建物が立ち並ぶ都市には当初息がつまる思いでした。大げさな装飾があちこちにあり、「おなか一杯!」とさせるのですね。しかし、毎日、トリノの街を眺めているうちに、特に美術史の本を手にとることもなく、バロックとは内的情熱の発露なのかな? と自分なりの解釈をはじめたのです。その直後から、ぼくはイタリアの魅力にからめとられていきました。 

ただ、このような経験があったにもかかわらず、怠惰なぼくはバロックの歴史をさらに紐解くこともなく、長い年月が流れていきました。それがマントヴァでルネサンス、そこから発展したマニエリスム、その先にあったバロックを身体的一体感をもって接したことで「こう繋がっていたのか」と自分なりの理解ができたのです。
マンテーニャによる結婚の間にある天井フレスコ画(撮影:廣瀬智央)

マンテーニャによる結婚の間にある天井フレスコ画(撮影:廣瀬智央)

ドゥカーレ宮殿の結婚の間にはマンテーニャの描いたフレスコ画があります。天井に丸い穴があいたかのように青空が描かれ、そこから人々が下を覗いているような構図です。心がふっと踊るような絵画です。

ルネサンスといえばダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロといった正統派を確立した画家たちのまじめな重い作品ばかりに目がいっており、ミラノのブレラ美術館でマンテーニャの「死せるキリスト」を見ても異色といった形容に気をとられていた。マントヴァでその正統派とマンテーニャの違いにハッとしたのです。
マンテーニャによる「死せるキリスト」(撮影:安西洋之)

マンテーニャによる「死せるキリスト」(撮影:安西洋之)

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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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