見過ごしがちな「関係性」にラグジュアリーのヒントがある

Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

キュレーターのマリアナ・セスマ(撮影:BirgitHaubner)

キュレーターのマリアナ・セスマ(撮影:BirgitHaubner)

ブラジル出身で現在ドイツ・ミュンヘン在住のキュレーター、マリアナ・セスマも、彼女の展示企画において「関係性をもの語ること」をとても大切にしていると言います。彼女は、非西洋のアーティストや先住民、有色人種のアーティストの作品を展示することが多いのですが、その理由は「彼らの作品が強い力を持っているから」だと言います。
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「彼らは先住民や有色人種というラベルの前に、普通の人間です。例えば、コーヒーでほっと一息ついたり、映画を観るのが好きだったりする。そういった共通する人間らしさを感じることで、文化の違いを優劣で見ず、あくまで多様性として尊重できるようになるはずです」
Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

2020年のブラック・ライヴス・マター運動を機に、最近は、安易に自分と異なる人種のことを語れない「ムード」があります。そんな中、セスマや私の知るブラジル出身の友人たちはそうしたことを恐れず、むしろ積極的にさまざまな人々とつながろうとしているように感じます。
Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

Exhibition Rusha The Voice of the Daughter(撮影:Mariana Sesma)

「私はブラジルでは白人、ドイツでは南米人という立場です。自分がどんな立ち位置にいるのか、自分は何をベースに物事を考えているのかを常に意識しています」

そう話す彼女は、尊敬するアーティストであり、サンパウロ・ビエンナーレのキュレーターも務めたグラダ・キロンバの言葉を引用し、「『違い』を主張するときは、何と比べて『違う』と言っているのかが重要です」と強く語ります。つまり、見えない基準や上下関係から解放されることが大切だというのです。

また面白いブラジル的な喩えとして「食人(antropofagia)」という言葉を教えてくれました。これは、敵の力を取り込むためにその肉を食べる先住民の習慣をメタファーにしたもので、外から来た文化を批判的に吸収し、自分のものに昇華させるという意味を持ちます。さまざまな考えを吸収し、新しい価値観を身につけることで、自分の内面を豊かにすることができるという考え方だそうです。
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セスマに「ドイツに暮らすようになって気づいたブラジル的な要素」を尋ねると、「喜びの表現」と答えました。例えば、ブラジルのカーニバルは今でもさまざまな人が喜びを分かち合い、日々の困難から解放される場所だといいます。

「喜びは人に伝染しやすい。困難に立ち向かえる抵抗力を与えることもできる。ヨーロッパ的な喜びの表現に出会い、改めて喜びの力について考えるようになりました」
(撮影:Birgit Haubner)

(撮影:Birgit Haubner)

喜びへの気づきから、「playful(遊び心)」をテーマにした次の展示を企画しているという彼女。英語で「play」には、遊ぶ、スポーツをする、楽器を演奏するなどの意味がありますが、セスマはそういった活動における「遊び心」が人を解放し、自由な発想や想像力を引き出す力があると考えています。

こうしたブラジルの人々の「センス」は、固定観念から解放され「人間としての喜び」を再認識できるような関係性を探す面白さを教えてくれたように思います。安西さん、これは新しいラグジュアリー的なものの見方と通じるところがあるように感じましたが、どんなことが想起されましたか?
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文=前澤知美(前半)、安西洋之(後半)

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