カルチャー

2024.02.15 11:30

そもそも「文化」とは何か? ラグジュアリーの議論における重要性

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お茶碗に装われたご飯をお箸で食べることを意識しないように「気にも留めなかったもの」に何かしらの価値や意味を見出す時、別の枠組みのことも同時に考えているはずです。ある文化の理解を深めるには、その他の文化の理解を並行して行わざるをえないのです。
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ここに新・ラグジュアリーにおける異文化理解の重要性があります。私たちは、講座のホームページで新・ラグジュアリーの動きを「文化の創造を伴うソーシャルイノベーション(新しい文化をつくることによってより良い社会を導く取り組み)」と書きました。

ソーシャルイノベーションを伴う新しい文化をつくるということは、これまでの枠組みを否定し、その居場所を奪い、新しい枠組みをつくることでは足りません。むしろ、その古い枠組みの文脈や価値を深く理解すればするほど、単に切り捨てるよりも、存在を尊重し、対話を続けていく方が、より良い未来につながるのだと気づきます。

異文化理解がもたらすのは、自分の価値観も、古い価値観も、世の中に無数にある価値観のうちの一つにすぎないという「脱構築」の瞬間と、その無数の価値観同士の新たな関係性を自分なりに提案していく「再構築」の機会です。その部分的なアクションの積み重ねがやがて引力のある流れになっている、というのが新・ラグジュアリーにおける文化のかたちだと思います。そうすると、持続可能性や多様性・包摂性が、チェックリストの項目ではなく、価値を追求する探検の結果的な通過点になっているはずです。
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ドイツの思想家、ヴァルター・ベンヤミンは、オブジェクトにおけるアイデアの役割を、星と星座の関係にとらえました。新・ラグジュアリーとはまさに、それぞれが異文化との遭遇や意見交換を経て、独自の価値観のコスモロジーを作っていくことではないでしょうか。

異文化交流が新たな線をつくり、異文化理解によって、その繋がりが意味を持つようになる。それをふと俯瞰した時に、新たな星座が浮かび上がって来る。その星座が他の空の下でもだれかの拠り所になった時に、新しいラグジュアリーと言えるのではないかと思うのです。

文=安西洋之(前半)、前澤知美(後半)

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