明治維新前までは、文化はcivilizationの訳語であり、文明とほぼ同じ意味で使われていました。それが一転、明治維新の教育改革によってドイツ哲学が浸透し、1870年代からは、文化がドイツ語のKulturの訳語になります。そして、文化が世間でも広く使われ始めた大正時代になると、文化の概念自体が文明の意味を包括するようになります。
今でこそ文化的と聞くと、歴史や伝統など昔からあるものを想像しますが、当時は最新のもの、特に西洋式のものを形容する言葉であり、「西洋かぶれ」というアイロニーの意味もあったというから、面白いですね。
実は、文化は江戸時代の元号でもありました。1804年から1818年までの期間を指しますが、「外国船が樺太、長崎などに盛んに出没するようになり、爛熟した江戸文化の開花期」と日本国語大辞典〔第2版〕(小学館, 2003)には記されています。
この元号の出典には、古代中国の哲学書『周易』賁卦彖伝の抜粋で「観于天文、以察時変、観乎人文、以化成天下」があります。訳すると「天文学を観察して時間の変化を察知し、人文学を観察して世界を変革する」となります。なんだか新しいラグジュアリーに通じる一文で、ワクワクしませんか。
このように見ていくと、文化という言葉の意味自体が、異文化交流によって、ラディカルに変わり続けてきたことがわかります。文化の4つの解説の受け取り方は人によって異なるでしょう。それはまさに、何が文化なのかという判断基準が相対的であり、異文化との遭遇や交流を経てのみ、それぞれの中に浮かび上がってくるものだからではないでしょうか。
異文化交流とは、他の国の人との直接的な交流に限りません。歴史、文献、美術作品などを通した、時空間を超えた交流もありますし、同じ文化圏でも出身の違う人との出会いや、世代や立場の違う人との対話も含まれます。私たちにとって文化の存在のデフォルトは「気にも留めない枠組み」です。