ファッション

2023.09.28 07:30

文化における「開閉のバランス」 MIZENとブルネロ クチネリの場合

須永さんへのインタビュー原稿を読み、最近、経験した2つのエピソードをご紹介するのが、ぼくのパートとしては適当かと思いました。

まず一つ目です。7月末、2人のイタリア人が京都の日本海側、丹後地方を旅しました。丹後という地域の魅力をどう見いだし伝えていくか、そのなかで丹後ちりめんを育んできたノウハウなりの資産をどう活用していくか。これらを探るため、ミラノの繊維会社の社長と大学でファッションを教える教授が1週間ほど滞在したのです。

今年2月、大学でデザインを教えるイタリア人とぼくが同地方に足を運んだときに時に考えたことは、『丹後で考えた「中庸の究極」と英ジェントルマン文化の共通点』で書きましたが、彼らも同様に丹後に魅了されたようです。 

ミラノに戻った社長が「丹後は素晴らしい土地だ。風景も食も言うことない。将来、新しいタイプのラグジュアリーに基づいたツーリズムのメッカになる潜在力を十分にもっている」と話します。

ただ、「生産できる生地が着物用の幅である30センチしかないのは大きな問題だが、洋服やインテリア用途にあう生地をつくる機械に投資しづらいという事情が分からなくはない。仮に日本の外でも市場を求めようとするなら、最大の課題は機械そのものもさることながら、生産性と国際的なビジネスをするメンタリティではないか?」とビジネス上の障害に言及するのも忘れません。

今後も丹後で、既に欧州では博物館でしか見かけないような機械で生地を織り続けるならば、逆に管理的な領域にはデジタル投資を徹底すべきだろう、と考えたそうです。それにより、クリエティブ領域にさらに時間とエネルギーを注げます。先週、ミラノの郊外にある高級家具メーカーの工場をたまたま見学しました。そこには最新のレーザー機械やミシンなどが並んでいるのですが、同時に古いミシンもあります。それを「私たちはお金がないから、古いミシンをまだ使っているのではない。スローなミシンはエラーをおこしにくく、クリエイティブな作業ができるからだ」と説明していました。

また、「明日、生産する量が頭のなかだけにあり、人とのアポをとるのに電話だけに頼る会社と一緒に仕事をしようとは思わない」という言葉も続きます。

ただでさえ異文化間で考え方に差異のあるなか、調整すればすむ領域の管理や行動パターンにおいて、わざわざギャップをこれ以上に広げる愚は避けるのが良い。しかし、日本の産地で遭遇したシーンは、そのギャップのありか自体に気が付いていない姿でした。国際的なビジネスをする場合、当たり前のように言葉の問題はつきまといますが、だからこそ、ツールや技術の部分でお互いが近寄れるレベルを探す姿勢が望まれるわけです。

それでも、彼は丹後の将来に希望を見いだしました。いろいろなところで若い人たちが地域に生きながらさまざまな活動をしている。それらの光景をみて、次の時代は明るいのではないかと感じたのです。もちろん、熟練の職人たちの仕事ぶりに感心することも多い。しかし、職人の仕事を過大評価する傾向には注意が必要です。

それよりも、若い人たちが試行錯誤をしている姿が、丹後の土地がもつ力の裏書きになったわけです。職人の姿がやや「内に閉じて」みえるに対して、若い人の姿が「外に開いて」みえる。どちらかに偏っていては未来を築くのは難しく、この「開閉のバランス」にこそ未来をみたわけです。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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