立ち上げ期のITベンチャーから大企業に入社した中村は、そこにある膨大なリソースに驚き、次々と提案をする新人であった。
「部署の説明を聞くと、やりたいことがいっぱい出てくるんです。『これも、できるんですか』『この会社、つながってるんですか』みたいな驚きの連続でした」
中村には面白がる才能、そして、やりきる胆力があった。
「自分で『これがやりたい!』『これをやります!』って、社内で言ってまわるんです。『お前、何言ってるかわかんない」ってみんなに言われましたけど、そのうちに周りも諦めて、認めてくれて。一生懸命頑張って、そういう提案をいろんな人に相談していくと、何人かに1人はすごく助けてくれたりします。普通の組織なら、死ぬほど反対したい人っていないんです。だから、ずっと一生懸命に言ってると、最初反対されても、最後は勝てるんですよ。熱量が違うから」
そうして、後にも生きる、ビジネスマンとしてかけがえない経験を積んでいく。ではなぜ、中村は組織を動かせたのか。
「ひとつだけ自分が誇れることがあるとすると、あまり利己主義的ではなかったことですかね。『このプロジェクトを成功させたい』とか『このビジネスを、何とかしたい』と考えて、そのための最善の選択をしていく。自分が何かを成し遂げたり、いい格好をするために、何か行動をしたことは一度もないし、まったく関心がないんです。純粋にプロジェクトの成功のために動いてきたと、自信を持って言えます」
勃興しようとしている新しい領域で、蓄積された知識を持つ人たちをつなぐ、通訳の役割を果たしていく──。中村が20代に飛躍できたのは、インターネット産業のなかで、こうした役割を担ったからに他ならない。「もうこのパターンしかないですから、私」という中村は、20代でおぼろげに見えた、自身にフィットする法則を、後に職業とする。38歳で、ベンチャーキャピタリストへと転身した。
「誰も経験者がいなくて、多様な人が参入してくる領域には、新しい人がのし上がるチャンスがあります。新しく勃興する領域は、大きく伸びる可能性もあれば、全滅してしまう可能性だってあります。そういうのが怖い、耐えられない人もいますが、自分にはそれがすごく面白いと思えたんです」