30U30

2023.08.18 12:30

Zホールディングス 川邊健太郎「20代は、リスクに楽観的であれ」

山本 智之

Zホールディングス代表取締役会長 川邊健太郎

LINEとヤフーを傘下に持つ巨大IT企業「Zホールディングス」。同社の代表取締役会長を務める川邊健太郎は、かつて学生IT起業家であった。

「インターネットで、とにかく何かをしたい」と、1995年に21歳の川邊は仲間と 「電脳隊」を創業。その学生ベンチャーを母体とする会社を、25歳でヤフーに合併する形で売却した。

川邊は売却に伴うヤフー入社後の2009年に子会社GYAO代表取締役社長に就任、年間約100億円の赤字事業GYAOを黒字化し再生するなど活躍。2018年にはヤフー代表取締役社長、その後、Zホールディングス代表取締役社長を歴任する。まさに、日本のインターネット史の中心を、前線で走り続けてきた人物だ。

川邊は、2023年のForbesJAPAN30U30のアドバイザリーボードを務める。23年4月の新年度より会長就任に際して、Twitter上に書いた「キャリアの回想録」も話題になった川邊に、「20代の飛躍した瞬間」を聞いた。


乗ったか、乗らなかったか、だけ

「インターネットに出会って、衝撃を受けた。そこから起業という選択をしたのが、いまに続く最大のターニングポイントですね。起業したのが95年。そろそろ30年が経ちますけど、いまだにビッグバンは、広がり続けている。そこに乗ったか、乗らなかったか。それだけのシンプルな話です」

川邊がインターネットに出会ったのは1994年の夏。19歳でまだ青山学院大学の大学生だった。場所は、親友の兄が入学した縁で遊びにいった慶應義塾大学SFC研究所の大学院棟だった。そこで見せてもらったWebに、川邊は衝撃を受けた。

「ホワイトハウスのホームページにまずアクセスし、そこから研究者たちのサイト、当時のアーリアダプトなユーザーの個人的なサイトなどをどんどん見て。いまも続ける大好きな『ネットサーフィン』の初体験でした」

テレビや雑誌など、川邊が慣れ親しんだ80年代のコンテンツは、メディアが作るもので、受け手は受動的。作り手はプロなので、完成度は高かった。一方、インターネットは、コンテンツはテキストベース、常時更新、低クオリティ。中身は極めて個人的なモノが多く、異常なまでに多様。組織的に作られたものが持つ、ある種の予定調和的な定番感はなかった。

「低クオリティなのですが、僕がそれまで楽しんできた80年代のコンテンツにはまったくない特徴ばかりで。脳に強烈な刺激が走った。メディア革命であり、メディアの民主化だったんです」

さらに、世界各国からの発信とアクセスがあり、双方向で交流できるのも衝撃的だった。SFCでのWebとの出会いの後、川邊は自宅にパソコンを買い、インターネットにつないだ。現代で言う「メッセンジャーの音声機能」を利用して、知り合いでもない海外の人々とマッチングして会話する経験をした。

「要するに、インタラクティブ・コミュニケーション。誰もが発信者になれれば、誰もが受け手にもなれるという本質は、いまでも変わっていません。テレビ、雑誌、新聞という時代とはまったく違う、その本質がバシッときた」

94年、インターネットに衝撃を受けた川邊は翌95年に「電脳隊」を起業。まだグーグルすらも創業されていない時期に走り始め、2000年に、経営する会社をヤフーに売却するまでの5年間、激動の日々を送る。
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文=Forbes JAPAN編集部 写真=若原瑞昌

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