起業は始められる事から始める
「インターネットに関わる何かをしたい」という想いで起業した学生ベンチャーには、スキルもお金もない。そこで、目をつけたのが「パソコンとインターネットの取り付け業」だった。川邊自身がそのセットアップに手間取った経験から、Windows95以降のパソコン・インターネットブームで生まれる需要を狙った。「『起業は始められる事から始める、ニーズのある所から始める』という発想で徹底的にできたのは、ビジネスの基本を知る上でよかったなと思っています」
川邊らは、起業当時は想像していなかった事業を走りながら考え、次々と起こしていく。パソコン取付業から、PCホームページ作成業へ。同じことを大企業がやり始めれば、受託仕事の「価格競争」から「差別化競争」への切り替えを模索した。97年夏、1カ月の休業して行ったシリコンバレーのスタートアップを巡る視察で嗅ぎつけた「PCインターネットからモバイル(ケータイ)インターネット」のシフトに乗るべく、「モバイルサイトの開発ソフトウェア提供とコンテンツ開発の教育事業」をはじめる。そこから、ケータイ・インターネットの急速なユーザー増加に合わせてモバイルのコンシューマービジネス業へ事業転換。最後は「カレンダー、電話帳、webメール、ストレージなどを束ねたPIM(Personal Information Management)サービス」のプラットフォーム業へ。わずか5年間の間に、次々と事を起こし続けた。
「一番の飛躍は、PCからモバイルのインターネットにシフトさせた時ですね。ビジネスモデルが、受託型ビジネスからソフトウェアビジネスになった。モバイルのインターネット市場は、現在のスマートフォンという大きな市場につながる市場の『初期の初期』。参入者も、PCのインターネットほどはいない。あのタイミングでシフトできたのは、飛躍のきっかけになりました。その決断ができたのは、ひとえに『競争環境』です。当時はなかった言葉ですが、PCのインターネットはレッドオーシャンになることはわかっていた。何か違うブルーオーシャンを見つけないといけなかったんです」
見つけたブルーオーシャンを逃さないために、仲間と猛烈に働いた。一番働いたのは、モバイルシフトからYahoo! JAPANへの会社売却までの2年間。昼間は開発、営業。夜は12時まで働き、その後みんなで近所の銭湯へ。25時に戻って来てから、27時近くまで働いて、そこから複数部屋を借り分かれて、みんなで住んでいた恵比寿のマンションに引き上げて寝る。また翌朝9時から経営会議を毎日、土日も関係なく行った。文字通り、起きてから寝るまで、仲間と一緒だった。
「トキワ荘状態で、本当に楽しかったですね。自分たちでビジネスをすることは楽しいことだし、自社も、市場全体もすごい勢いで伸びている。モバイルインターネットをやっているのは、まだごく一部の人たちだけ。大企業や大人がまだいない、自分たちが知っている面白い世界でした」
時は1999年。孫正義が新興株式市場のナスダック・ジャパンの創設を表明し、対抗した形で東証が11月にマザーズを開設。2000年3月から4月の間には、藤田晋のサイバーエージェント、堀江貴文のオン・ザ・エッジ、三木谷浩史の楽天が次々と上場した。日本のインターネットビジネスが大きく伸びる、激動の時代だった。
「新しい産業が生まれることは滅多にないこと。結果的に、とんでもない大きい産業となったわけですが、新しい産業が生まれつつあることに、衝撃を受けましたね」