また、23年3月には、8億ドル(約920億円)のファンドを組成。世界のベンチャー投資・最前線で勝負する中村は23年、「Forbes JAPAN 30U30」のアドバイザイリーボードに就任。「20代の飛躍した瞬間」を尋ねると返ってきたのは、意外にも、ずっと居心地の悪さを感じながら、不安な日々の話であった。
「ライトタイム、ライトプレイス」
中村の経歴は、実に輝かしい──。早稲⽥⼤学法学部在学中にヤフージャパンの⽴ち上げに参画。卒業後は、三菱商事へ。シカゴ⼤学MBAで学び、その後、修了したベンチャーキャピタリスト育成機関「カウフマンフェローズ」の代表だったPhil Wickhamと共に、Sozo Venturesを創業する。投資実績にも、Twitter、Zoom、Square、Coinbaseなど、トップティアのスタートアップが並ぶ。グローバルのスタートアップ投資の世界の最前線にいる、数少ない日本人の一人だ。しかし、20代を振り返って話す中村が語ったのは「居場所のなさ」だった。
「私が大学時代のインターネットビジネスは、大きなムーブメントではありませんでした。ヤフーも、日本では一番手でもなく、新聞社のページがトラフィックを1番集めていた時代でした。私がヤフーに関わったのも、本当に偶然。何かを成し遂げたいなんて、考えてもいなくて、戦略性も、考えも、なかった。それどころか、20代はずっと自分に自信もないし、どこにいても、居場所がないなと思いながら、過ごしていました」
戦略も、野心もなく20代を過ごした中村は、いかにして、世界のスタートアップ投資の最前線まで、歩みを進めていったのか。中村は自身の半生を、ひとつのキーワードで総括する。
「『ライトタイム、ライトプレイス』という言葉が、すごく好きなんです。著名ベンチャーキャピタリストで、シャオミへの投資などで知られるハンス・タンの言葉です。何かがすごく広がっていく瞬間に、たまたまそこにいるってことが大事。新しい知識も身につけることができて、誰もいない場所にタイミング良くいるというのはすごく大事だと思うんです」
結果的に、中村にとっての「ライトタイム、ライトプレイス」は、大学時代のヤフージャパンの立ち上げだった。中村を誘ったのは、当時、東大経済学部生だった孫泰蔵。後に連続起業家となり、起業家育成、投資などを通し、アジアでのシリコンバレー式のスタートアップ・エコシステム作りに、重要な役割を果たす。当時、家庭教師の紹介業を運営する学生組織にいた中村は、偶然参加した学生主催のイベントで、孫泰蔵と知り合った。
「大学に在学しながら、なんかここは違うなと思い、いろんなことに手をつけていた。どこにも属してない自分だった時に誘ってくれたのが泰蔵さんたち。すごく魅力的で、この人たちは面白そうな人だなっていうところで一緒にやることにしたんです」