僕が「お金に執着しない」わけ
阿部 誠|東京大学大学院経済学研究科教授お金に執着しないこと。すぐに答えを出さないこと。このふたつが長年、マーケティングを研究 してきた自分が大切にしていることだ。もともと理系で、小学生のころから秋葉原に通って電子パーツを買ってラジオをつくったりするのが趣味だった。米マサチューセッツ工科大学(MIT)まで行って、電子工学を4年間やったが、物足りなさを感じ、紹介してもらったのが、ある先生のもとでのアルバイト。あとから知ったが、その先生こそ、「リトルの法則」で有名なマーケティング・サイエンスの父と呼ばれる「ジョン・リトル」だった
マーケティング・サイエンスは、消費者の購買履歴などの客観的なデータから消費者の行動や心理を分析する。自分の得意な数学が武器になった。自然科学と違って、人間には不確実性がある。完全に人の行動や意思決定を理論で予測することはできない。不確実性があるからこそ、それ以外の本質的な部分を理論的な体系で考えて、確率的に予測をするしかない。その不確実性に電子工学にはない面白さを感じた。
研究では、人々の意思決定に働くさまざまなバイアスを調べてきた。事例を見ているうちに、物事にすぐに反応しないことが大事だと気づいた。物事にはいろいろな不確実性がある。だから、何か起きてもすぐ直感的に反応せず、しばらくじっくり考えるべきなのだ。人生における決断でも、1分でもいい、その場で意思決定せずによく考えることだ。例えば、メールもすぐに返信しないで1日ぐらい温めておくと、その間に状況が変わったり違う案件が出てきたり、よりよい対応策が浮かんできたりする。
もうひとつ、注意しないといけないのは、お金を意識すると、人の行動は変わってしまうということだ。より市場原理に基づいた行動を好むようになったり、利己的な行動をとりやすくなったりする。お金は目的ではなくて手段だ。サービスや物の価値は、本来多元的なもの。それをお金というひとつの尺度にすると単純化されすぎて、ほかの価値を見逃してしまう。
お金はわかりやすい。でも、わかりやすいことだけが本当にいいのか。自分が本当に欲しいものは何か、重要なことが何かを知ることが大切だ。私はいちばん面白いと思う研究を続けることができた。それが何より幸福だと思う。
あべ・まこと◎1991年、マサチューセッツ工科大学博士号取得。フンボルト大学、UCLA、イェール大学、ニューサウスウェールズ大学、シンガポール国立大学で客員を務める。2004年より現職。専門はマーケティング、行動経済学。