「そんなものは、偽物だ!」
宮脇は、たとえ相手が大企業の経営者であっても啖呵を切り、ひたすら本物を追求した。徹底した現場主義で森づくりに邁進する姿は、多くの人間を惹きつけた。西野の父もその一人であった。
宮脇の森づくりが熱狂的に支持される理由は、その独自性にある。宮脇が植えるのは、現在の日本の山々を占有するスギ、マツ、ヒノキではない。シイ、タブ、カシという失われていった広葉樹の木々が中心だ。コンセプトは「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」。「潜在自然植生」という理論に基づく。
植生は、人間の干渉前の「原植生」と干渉後の「代償植生」に分けられる。「潜在自然植生」とは、人間の干渉を停止したと仮定し、その土地で再現される植生のこと。宮脇は、この概念をドイツで提唱者から直接学び、森づくりに本格導入。土地ごとの潜在自然植生を調べ上げ、それに応じた多様な木々を植え、ふるさとの森を再現する。それが、宮脇流の「本物の森づくり」だ。
そうした森は、木材生産のためにつくられた人工の森と違い、災害を防ぐ緑の壁となる。その事実を教えてくれるのが、陸前高田の「奇跡の一本松」だ。メディアで盛んに取り上げられ復興のシンボルとなっていたが、現地調査をした宮脇は憤っていた。
「津波以前、そこには約7万本のマツがあった。1本は残ったとはいうけれど、逆にいえば、7万本は流された。7万本は凶器となり、内陸へと運ばれていってしまった」というのが宮脇の見解であった。
一方、宮脇が森づくりの手本とする、神社仏閣の周りに残された「鎮守の森」は、倒れずに生き残った。潜在自然植生に応じて宮脇らが植樹した木々も、大津波で流された大量の自動車などをしっかりと受け止めてなお、倒れていなかった。「ふるさとの森は、人間の命を守ってくれる」という宮脇の持論は、被災地で証明されたのだ。
以後、宮脇は「いのちの森づくり」をキーワードに活動を加速。瓦礫を入れた盛土に植樹をし、被災地に全長300キロの「森の防波堤」をつくる構想を打ち上げた。当時の宮脇は84歳。「人生最後の仕事」と銘打ち、精力的に活動した。
一方、宮脇の弟子筋の研究室で研さんを積んでいた西野も、このプロジェクトに参加。宮脇と行動を共にし、被災地の現場で共に汗を流した。2021年、宮脇は93歳でこの世を去った。西野は、宮脇最後の弟子となった。