交通の要衝として古くより人々が行き交い、山海の恵みと技術の集積が知られた小田原。世界への発信、そしてシリコンバレーへのポップアップストアを展開するなど、外への進出意欲を鮮明にしている。
名だたるアセットで総力戦を挑む小田原市長・守屋輝彦の視線の先にあるものとは。
「よそ者」がやってきて、変化したまち
藤吉雅春(以降「藤吉」):私たちはこれまで全国の経営者に取材を重ねてきました。国内では無名でも、世界で非常に尊敬されていたり、価値のある経営をされていたりする企業がたくさんあります。そんな経営者たちに光を当てたい──スモール・ジャイアンツプロジェクトの原点にある思いです。私たちは人物に焦点を当て、人物からその土地の経済や文化を牽引する原動力を見ていきたい。その観点では、小田原は大変興味深い土地なのです。守屋輝彦(以降「守屋」):ありがとうございます。小田原は戦国時代に小田原北条氏の城下町として興隆し、江戸時代には東海道屈指の宿場町として発展しました。千年の歴史を持つまちで、老舗企業も「百年ではまだひよっこ」と言われますよ。最も古い「ういろう」の外郎家は1504年に小田原に来住したと言われておりますから、ファミリーヒストリーは500年以上に及びます。
時代を経て、明治期には政財界人や文化人たちの別荘地として愛されました。明治の元勲・山縣有朋の別邸は「古稀庵」として一般公開がされており、その隣には大倉喜八郎が構えた別邸も今なお残っています。城下町、宿場町、別荘地のいずれも、多くの人々が行き交い活気をもたらしたまちづくりにつながります。『人々はかつて小田原を目指した。そして今も──。』観光客はもちろん、移住者やスタートアップ起業家など、多くの人たちが今なお小田原を目指して集まってくるのです。
藤吉:小田原スピリッツと言うべきものが時代を超えてつながっているわけですね。当時は、伊藤博文の別邸もあり、要人が小田原詣でをしていたのは有名な逸話です。谷崎潤一郎や坂口安吾も小田原で創作に取り組みました。人口20万都市ながら、日本を動かす才気が集まったわけですね。
守屋:小田原は、「よそ者」がやってきて、その化学変化で発展してきたまちなのです。2023年は小田原を治めた北条家が「伊勢」から「北条」に改姓して500年という節目ですが、小田原を城下町として発展させた北条早雲、彼こそ元祖「よそ者」でしょう。伊勢新九郎という名で京都にいましたが、応仁の乱で乱れた世の中で東に向かった。ここ小田原で自分のアイデンティティを確立し、北条氏として立ったのです。
時代が動くとき、小田原には「よそ者」がやってきて、多様性を持ってまちを発展させてきました。ここ小田原には、よそ者を受け入れ、共に活気づいていく。そんな風土があるのかもしれません。