アート

2023.06.15 09:00

ミラノデザインウィーク、「ヤマハ」の展示が秀逸だった理由

鈴木 奈央
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前々回の「丹後で考えた『中庸の究極』と英ジェントルマン文化の共通点」では、かねてよりラグジュアリーの構成要素とされてきた「極端・究極」という概念に対し、安西さんが「極端な中間、中庸の究極」という新しい解釈を与えたことが画期的でした。

今回はエクスクルーシブの新解釈ですね。従来のラグジュアリー論では、「少量のものを限定的な人数に提供する」という「排他性」を意味しましたが、それを読み替え、「一人一人へのオーダーメイド」という意味を与えられました。

新型ラグジュアリーの議論には、ラグジュアリーの本質的要素に対し、来るべき時代に合わせた新しい意味を与えることも含まれますね。とすれば、旧型ラグジュアリーの聖典『カプフェレ教授のラグジュアリー論』が分析するラグジュアリーの構成要素一つ一つに新解釈を与えていくことも可能ではないでしょうか。

「誘惑」「名声」「稀少性」「階級(を与える)」。このような要素が、高度資本主義の次に作るべき新しい社会においてはどのような意味をになうのか、続々登場する事例に沿って考えていくことはなかなかスリリングです。

「見立て」という再創造

さて、コンテクストに直感的に自然に沿うことで、結果としてシンプルでサステナブルな美しさを体現したヤマハの例、興味深いですね。

この話から連想したのは、「見立て」という日本の美意識です。

もう7、8年も前になりますが、当時私が特任教授を務めていた大学に「まとふ」のデザイナーのひとり、堀畑裕之さんをお招きし、講義をお願いしたことがあります。「まとふ」の作品のベースになっている日本の美意識を多々解説してくださったのですが、その中の一つに「見立て」がありました。
Matohu - Runway -  2017 S/S(Getty Images)

Matohu - Runway - 2017 S/S(Getty Images)


「見立て」とは堀畑さんの解説によれば、「道具を全く別の使い方に転用すること、新鮮な価値へと再創造すること」で、たとえば散歩の途中で拾った錆びついた建築部品、これを磨き、花瓶に見立てて花を入れて壁にかけてみると、あら不思議、一点もののおしゃれな一輪挿しへと変身する……。

廃品のかけらを、サステナビリティとシンプルな美しさが同居する新しいものへと変身させる、一種のマジック。ここにおいては、「本質を見抜いて新たな価値を引き出す」という見立てができるイマジネーションが主役になります。そんな自由な知性は、セクシーです。 
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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