アート

2023.06.15 09:00

ミラノデザインウィーク、「ヤマハ」の展示が秀逸だった理由

鈴木 奈央
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まず、ヤマハはミラノ市内の地区の選び方が秀逸です。この展示は、下の地図に赤印のある地点です。

この通りは、以前からヴィンテージショップやアートギャラリーなどが並んでいました。近くにマイクロソフトやアクセンチュアのオフィスができた頃から、徐々に洗練されてきます。そして、この一帯をサステナブルモデルが集まる地域にしようという動きがあります。

この地区にヤマハはアートギャラリーを借りたのです。前のページの写真ではヤマハのデザイナーの川田学さんがギターを弾いていますが、その背後には今回の展示イメージ図が見えます。イメージ図が説明的には見えないのが、アートギャラリーという選択の理由です。

即ち、都市文脈と展示会場のインテリアが自らの意図と合っているならば什器は不要。什器を必要とするのは場の選択が悪いから、ということになります。逆の方向から言うならば、コンテクストに沿わないモノとサービスを提供しようとすると什器で舞台をつくらざるをえない。したがって、什器に多大な投資をしている企業は、もともと無理なところをゴリ押ししていると見られかねない……。ヤマハの展示コンセプトをみて、そう気づいたのです。

美とサステナビリティは相入れないのか?

しかも、この展示は新しいラグジュアリーとの相性が良いです。

ヤマハのイベントのコピーは”You Are Here” 。究極の「エクスクルーシブ」です。旧型ラグジュアリーの文脈では、エクスクルーシブとは少量のものを限定的な人数に提供する意味合いでよく使われました。しかし、新型のラグジュアリーにおけるエクスクルーシブとは、1人1人へのオーダーメイドという色彩が強くなりつつあります。

それゆえに、無駄なものが出づらいのです。

サステナビリティを強く主張したものはどうもセクシーではなく、美しくない。しかし、サステナビリティを度外視した色気のあるコンセプトはイマドキの世界では受容されにくい。この2つのジレンマが盛んに語られます。論理と審美性がはっきりと分かれるものかの議論はさておいて、これらの2つの面で競い合っているように人は考えがちであり、それを発信側も意識することが多いのも現実です。

しかしながら、そのようなジレンマは幻想に基づく迷いに過ぎない。本来、折り合わないもの同士をくっつけようとするから「ジレンマらしい状況」ができてしまうわけです。

シンプルであることが存在として強いのは、さまざまな無駄を排除しているからと説明されやすいです。しかし、無駄を生む状況設定を回避する直観の働きが、その前提にあるのです。要は、長い時間を要する熟考とそぎ落としだけがシンプルを生むのではなく、直観で瞬時に捉えられる全体の構図や構造なりもシンプルなものになる。そして、それは往々にして美しい、ということです。

サステナビリティと新しいラグジュアリーの結びつきは、何も「こう、あらねばならない」論によるものではないと言えます。中野さんのご意見をお聞かせください。
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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