一度、CxOとして挫折を味わった
植野:それからfreeeに移り、再び会計のフィールドに戻られたのは?武地:昔、父が言ったことって本当はどうなのか、自分で見たい。決め手はそれでした。freeeという会社は税理士さんがパートナーだし、彼らの仕事をなくす気はさらさらないです。単なる業務処理だった会計をDXのレベルにもっていこうと考え、「会計」というものをアップデートし続けたい会社。そこに興味がありました。
植野:入社時はCFOのポジションでした。
武地:上場前、シリーズDの資金調達をやるミッションで入社しました。すでに60億円ほど調達していたから、ベンチャーとしては大きいほうです。当時いた日本のベンチャーキャピタリストは大手の金融機関や大企業出身者で、資金調達はやりやすかったです。BCGで相手していた人たちと変わらないから、意思決定も「こうだろう」とわかりやすかった。しかし、次のCPO、いわゆる事業責任者の仕事がうまくやれませんでした。
植野:CPOという役職は?
武地:チーフ・パートナー・オフィサー。パートナーとは税理士さんです。この事業の数値計画を達成できなかった。
植野:理由はどこにあったんですか。
武地:まず計画自体に無理がありました。それを立てたのは、CFO時代に資金調達のストーリーをつくった僕自身です。パートナー事業の責任者になり、その計画を自分から「無理です」と言うわけにはいかなかった。
植野:自分で立てた目標が、自分自身に返ってきたわけですね。
武地:本当は、現実を見て変えていけばいいだけなのに、「言えない」と思い込んでたんですね。
もうひとつの理由は、事業への「解像度」が圧倒的に低かったから。コンサルとして自分が成長しきれなかったところですが、細部まで詰めることが必要だったし、「この数字をつくるにはこんな打ち手を出して、お客さんや競合はこんな反応をして」という予測が立てられていなかった。
植野:解像度という言葉は、スタートアップかいわいでは、よく「事業の鮮明さ、リアリティのような意味合いで使われます。
武地:稲盛和夫さんに言わせれば、「色がついたように世界が見える」ことだと(※2)。空想の世界は平面の紙から始まり、徐々に立体的になっていくけれど、まだ白黒。それがカラーで見えた瞬間に「いける」と著書にあります。僕はコンサルとして生きてきたあいだ、ペーパーの世界で生きてきました。
植野:言語だけですから。言語情報の処理。
武地:そう。当時の自分はそれがわからなかった。結局、ビジネスの世界で動いているのは、言葉や数字ではなく「人」です。「こういうことをしたらこの人はどう反応するだろう」ということを含めて想像しきれなかったのが大きな反省でした。
植野:CSOとして現在、どんな仕事をされてますか。
武地:業務の大半はM&Aです。海外でいうコーポレート・ディベロップメント。freeeのような会社を非連続に成長させていく場合、どうしても社内だけだと圧倒的にリソースが足りません。まだまだプロダクトのポートフォリオを広げていくのが戦略の中心になります。
植野:ビジネスのリアリティがなかったから一度失敗し、修羅場をくぐった。入社するまで普通の事業会社のスタッフをやったことがなかったわけですからね。その結果、強制的に解像度を上げ、戦略を担う立場になれた印象です。
※2 現実になる姿が「カラーで」見えているか
「そうやって思い、考え、練っていくことをしつようにくり返していると、成功への道筋があたかも一度通った道であるかのように「見えて」きます。(中略)しかも、それが白黒で見えるうちはまだ不十分で、より現実に近くカラーで見えてくるー そんな状態がリアルに起こってくるものなのです。」(稲盛和夫『生き方』第1章「思いを実現させる」より)