アジア

2023.03.20

「裸で泳ぐ」地銀 SVB破綻が鳴らす日本への警鐘

日本銀行の植田和男次期総裁(Getty Images)

1999年、日銀は世界で初めて政策金利をゼロに引き下げた。2001年には、当時未踏の領域だった量的緩和(QE)に足を踏み入れた。以来、日銀はそこから抜け出せていない。2006年から2007年につかの間、ごくわずかな利上げをしたものの、その後は「量的緩和」沼にますます深くはまり込んでいる。

やがて日本は、ただ同然で借りられるフリーマネーに依存するようになった。銀行や企業、保険や年金などの基金、大学、巨大な郵政グループ、そして政府は、フリーマネーを当たり前のもののように考えるようになった。代償は大きかった。20年におよぶ量的緩和によって、日本のアニマルスピリットはすっかり弱くなった。

日銀の巨大なATMがあるおかげで、この間の日本の歴代政権は、非効率な行政手続きの改善や労働市場の規制緩和、起業の促進、生産性の向上、女性のエンパワーメント、外国からの人材誘致拡大といった課題に向き合わずにすんだ。

2012年、日本の有権者は、脱デフレに向けた思い切った改革を公約に掲げた安倍晋三率いる自民党を政権に復帰させた。これは前年、日本の国内総生産(GDP)が中国に抜かれたこととも無縁ではないだろう。

だがその安倍元首相は、みずから改革に汗を流すのではなく、日銀にもっと大胆なQEをさせようと2013年3月、新総裁に黒田東彦を据えた。黒田はそれをやり、世界は円であふれかえった。日銀のバランスシートは2018年までに、約550兆円規模の日本GDPを超える規模に膨れあがった。

この政策は日本経済をあちこちで下支えし、円安効果で企業に歴史的な高収益をもたらした。しかし10年たった現在、黒田日銀は機会喪失と厄介な副作用という負の遺産を残している。

黒田が市場にお金をジャブジャブ流しても、日本経済は成長しなかった。それどころか、企業の経営者たちから、イノベーションやリストラ、ガバナンス改革、リスクテークへの意欲をそぐことになった。しかも最悪なことに、中国は同じ時期、経済力を高める政策を強化していた。

これに関しては黒田よりも、彼を失敗へと追いやった政治家たちに大きな責任がある。もし自民党がなにがしかサプライサイドの大きな改革を打ち出していたら「ユニコーン」の創出レースでインドインドネシアに遅れをとることはなかったのではないか。

日本の人口約1億2600万人の半分を占める女性は、これ以上ないほど低い待遇を受けている。また、今年ようやく、そこそこの賃上げを認めてもらえそうな日本の労働者は、深刻な物価高に悩まされている。賃上げは生産性の向上を伴わなければ、日本のインフレ問題を悪化させるだろう。

日本のデフレを終わらせたのは、日銀ではなく、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ侵攻だった。しかもこのインフレは、世界的なエネルギー価格や食料価格の上昇が波及した「悪い」たぐいのものだ。

来月就任する植田新総裁は、こうした経済的な地雷原に足を踏み入れなくてはならない。そして今回のSVB破綻は、日銀にとって、みずからも銀行業界の大混乱を引き起こしかねないという恐怖をいや増す出来事になったに違いない。
次ページ > 「地雷原」に足踏み入れる植田新総裁

編集=江戸伸禎

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事