制作手法にも決定的な違い
日本映画界でも、テレビ全盛時代前には、洋画の映像表現法を解析しながら、自らの撮影、編集方法を確立した溝口健二、小津安二郎そして黒澤明といった監督が存在し、独自のセオリーに基づいた構図や編集の一貫性が海外でも高く評価されていた。欧米の映画学校で学ぶ日本映画は未だにこの3人と、あと他に大島渚監督が紹介されるくらいだろう。
3人は画家を目指した経験から、熟考の上でショット毎の構図を決め、全編のストーリーボード、絵コンテを自ら描いてから撮影に入ることが常であった。
「カット割り」をしない
しかし、ほとんどがテレビ出身の現代の監督は、撮影前にそういった準備をすることはない。演技指導を主務とすることが多く、撮影はカメラマン、編集はエディターが担う。
そして作品の多くがワンシーンを複数のビデオカメラで撮影して、後で編集するという手法で作られているため、いわゆるカット割り(脚本に沿って各シーンのカットやアングル、構図などを決めておくこと)をする必要性がそれほどないのだ。
しかも大学を卒業してテレビ局に入社しても、映像理論を新入社員研修で教えられることはなく、現場の徒弟制度で先輩の技を見ながら制作手法を身に着けるしかない。
日本の実写作品には映画、テレビを問わず、到底プロが製作したとは思えない、ワイドショットで長い演技を取り続け、ズームやパン(カメラを固定したまま、撮影方向を左右に振ること)が多用され、アクション途中で急に他のカットに切り替わり、左右が逆転するような編集が多いことも事実だが、これらは欧米スタンダードとはかけ離れたガラパゴス標準で育った製作者によるものだろう。
それが当たり前の時代が30年近く続いたのだから、現場での改革に大きな望みは持てない。
ただ唯一の望みは、CMと低予算映画の製作経験者たちだ。
CMでは熟考を重ね、関係者の同意を得た絵コンテに基づいて撮影を行う。他方、低予算のピンク映画製作などでは高額のフィルムを長時間撮影で無駄にできないため、必然的に監督が絵コンテを描きながらシーン毎のフレーミングを決める必要がある。
彼らの儀容は実に欧米基準に匹敵する。実際『おくりびと』の滝田洋二郎監督は成人映画の製作経験者であり、浜田毅カメラマンは大蔵映画出身、川島章正エディターもロマンポルノ編集20年以上のベテランだ。
では、なぜ日本のアニメ映画は海外の評価が高いのだろうか?