もう2年以上になるでしょうか。本條さんを含めた数人の仲間と一緒にデザイン関係の本を読む会をやっています。
昨年後半から今年前半にかけ、米国のサイバネティクスやデザインの研究者であるクラウス・クリッペンドルフによる『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』(エスアイビーアクセス)を読んでいるとき、クリッペンドルフのセカンドオーダー・サイバネティクスへの考え方に対して本條さんが興奮しながらコメントされていました。
そして、本條さんのBXに関する論考を読んだ瞬間、「やったね!」と思いました。ぼく自身もクリッペンドルフの本で頷く点は多かったのですが、このようにBXに適用するのかと感心すると同時に、あるエピソードを思い出しました。
ミラノ工科大学でラグジュアリーマネジメントを教える先生との会話です。今から7、8年前、ぼくたちはラグジュアリーブランドとローカリゼーションの関係について意見を交していました。世界各地にある店舗をみれば分かるように、ラグジュアリーブランドは店舗インテリアを隙なく、すべて統一イメージとすることを基本方針としてきました。ローカリゼーションはご法度です。
商品をローカルに合わせて一部調整することはあっても、店舗デザインを大幅に変更するのは不可とする企業が大半です。仮にそのようなことをしていても、表だって見せないものです。ウエブサイトやECプラットフォームも欧州本社のものが基本。よって日本語サイトの文章も翻訳調になるわけです。明らかに司令塔の指示が徹底されている。
中国・北京にあるグッチの店舗(Getty Images)
ぼく自身、そうした企業と仕事をして、この方針の頑固さを痛感していたのです。このことをイタリア人の先生に話したら、彼が次のように語ってくれました。
「確かにその基本路線は強い。が、それでも変化がないわけではない。中国市場で売れるローカライズされたモデルは他の市場でも販売されるようになっている。これまでパリやミラノの本社が一方的に指令を出していた。だが、市場の声を聞きながらブランドそのものを再考するような兆候がみえる」
その頃、確かにECプラットフォームがグローバル共通から各国ごとに設定される動きもあり、彼の発言を裏付けるいくつかの事実にも気がついていました。しかし、全般的にみれば、それは売り上げの多くを占める中国市場への“配慮”であり、ブランドの考え方を抜本的に変えようとしているとは言い難い、という印象をもっていました。
このあたりの乖離がアカデミックに研究対象としている人とビジネス現場での認識の違いなのだろうとも感じました。当時、新しいラグジュアリーへの期待があっても、リアル感には乏しかった。また、1990年代のラグジュアリー市場において日本の存在感は大きかったにもかかわらず“配慮”はなかったことから、正直なところ、中国市場のためにブランドの基本方針が変わるのはアリか? と信じられなかったのです。