日本の伝統産業のブランド化 ドイツと二人三脚で取り組んだ12年

suzusanCEO / クリエイティブディレクター 村瀬弘行


中道:今では逆輸入のように日本でも展開されていますが、順調でしょうか。

村瀬:おかげさまで、なんとかやっています。コロナの初期、ファッションビジネスは、世界中で大打撃を受け、まさかと思うような店やブランドが廃業していきました。

僕たちは卸がメインで、最初にドイツでデザインし、日本でサンプルを作り、それをパリやミラノ、ニューヨークで発表します。そこから世界中のバイヤーからオーダーを受け、そのオーダー分を日本で生産し、世界中に発送しています。高単価にならざるをえず、卸先で横に並ぶのはハイブランドばかりになります。

コロナ禍になり、オシャレをする場所がなくなり、ファッションは意味がないという風潮が流れ、「もう終わったな」とも思いました。ところが、バイヤーたちからオーダーが入り、中にはオーダー額が増えた店舗も多くありました。結果的に受注店舗の総数としては減ったものの、1店舗ごとの受注額アベレージは上がり売上全体としては増加しました。

中道:それはコツコツと続けてきたことで、社会的なトレンドに左右されない価値が作り上げられていたんでしょうね。

村瀬:「suzusan」のデザインは、新しさを狙わず、5年、10年経って使ってもらえるデザインを念頭に置いています。全て人の手で作っていて、時間と手間がかかりますが、それだけ人間味があります。

世界中、どこに行っても同じ商品が並ぶ中、一点一点にこだわった商品は価値になるとコロナ禍で再認識できました。



中道:アパレルの多くは、消費のために作っていますからね。

村瀬:どんどん早く、どんどん多くと、ファッションは飽きさせるビジネスと言えるほどです。大量に作り、売れなかったらディスカウントし、残ったら燃やす。トレンドを作るために新しい商品を作り、バズを作り一過性を前提としている風潮もあります。そんな流れは健康ではないはずです。一方、僕らは大量に商品を作れない分、基本的に全て受注生産になります。オーダーが来た分だけ、ユーザー一人ひとりのために作り手が必死になって作ります。

必ず対象となるユーザーがいるモノ作りと、いつか焼却処分されると思いながらのモノ作りでは、モチベーションは大きく違うはずです。もちろんその分、緊張感や人間味のあるコミュニケーションも必要とされます。

中道:それがグローバルで展開できているのは、今の時代ならではかもしれません。

村瀬:モノ作りもコロナ禍で大きく変わりました。今までは年に3、4回日本に行き、工場を回って職人と製品作りの話をしてきましたが、コロナ禍での最初1年半は全く日本に帰国できなくなりました。今はiPadにスケッチのアプリを入れ、職人とコミュニケーションをとっています。

中道:職人の方々がそういったツールを活用できるのは、大きなポイントではないですか。

村瀬:僕らとしては、非常にやりやすくなりました。毎日Zoomや Teamsを使いながら情報をシェアしています。1回もフィジカルで会わずにモノを作れる状況になったのは、ポジティブな変化でした。

中道:そういった進化も含め、一つひとつに向き合うこと実現できていったと。

村瀬:「suzusan」の成り立ちも、なくなりそうな技術が手元にあっただけで、ブランドもプロダクトもありませんでしたからね。その技術を後世に残すためにはどうしたらいいかと考えた結果として、生まれただけです。

中道:大学のときから全部で繋がっているので、ある意味で“持って”ますね。

村瀬:確かに、その時々の出会いによって今があります。たくさんの人々が関わってくれ、多くのご縁が繋がっていることに、最近は改めてありがたいと感じます。

文=小谷紘友 編集=鈴木奈央

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