日本の伝統産業のブランド化 ドイツと二人三脚で取り組んだ12年

suzusanCEO / クリエイティブディレクター 村瀬弘行


村瀬:自立を促すとも言えます。イギリスはカリキュラムに沿った授業が月―金で行われていましたが、ドイツでは一切ありませんでした。僕の通っていた大学に関して言えば、美術史の先生によるレクチャーなどはありましたが、出なくても、基本的に作品を自分のアトリエで作っていれば問題ありません。

求められていたのは自立性で、やりたいことがある人にはすごくいい環境である一方、やりたいことがなければ誰も教えてくれないため、居心地は悪かったはずです。実際にドロップアウトしてしまう学生もいました。

中道:「suzusan」も在学中に立ち上げられるんですよね。

村瀬:大学の授業とは全く関係なく、ビジネスを専攻していたクリスチャンというドイツ人学生と立ち上げました。彼とは学生寮をシェアし、毎晩のように飲み明かしていた仲です。

ドイツで3年ほど過ぎたとき、父親がショーに参加するためにイギリスに来て、英語が話せない父の手伝いをしたときに初めて、海外の視点で家業の仕事を見て、面白いと感じました。

父の帰国の際、有松鳴海絞りを「預かっておいてくれ」と言われてドイツに持って帰ったところ、それを見たクリスチャンが「面白いね」と。それから家業について説明し、夜中にビールを飲みながらビジネスアイデアを語り合いました。



僕はアーティストになるつもりで、日本にいたときから家業には全く興味はありませんでした。ところが、大人になり海外で見た家業は、日本で見ていたのと同じはずなのに新鮮に映り、観客たちの「すごい!」というダイレクトな反応も目の当たりにして、場所を変えることで価値の転換になると気づきました。

日本の大学には受け入れられなかったけれど、ヨーロッパの大学では受け入れられたので自分の経験も重なり、「日本でダメでも、海外なら価値を作り出せる」と思うようになりました。

加えて、父から「職人もいなくなり、15年もしたら産業自体がなくなる」と聞いていたので、形を変えて海外に持ち込めば、伝統の未来を作ることができるかも知れないと感じましたね。そこでクリスチャンがビジネスパートナーになってくれました。

中道:今も彼と仕事を続けていますか。

村瀬:彼は2020年に会社を辞めたため、今は僕1人です。ただ、12年間にわたって二人三脚で歩んできました。2008年に登記をしたのも学生寮。「suzusan」自体も、クリスチャンの「日本の伝統産業の絞りを海外のラグジュアリーマーケットでどのようにマーケティングするか」という、卒業論文がベースになっています。

中道:ビジネスプランが具体化してから、アーティスト志望の村瀬青年はクリエイティブディレクターになっていったんですか。

村瀬:そうですね。会社を作ったときに名刺も初めて作り、僕がクリエイティブディレクターで、クリスチャンがマーケティングディレクターと名刺に刷ったその日から。2人しかいない会社で、2人とも学生でしたが、言ったもん勝ちだと。
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文=小谷紘友 編集=鈴木奈央

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