植野:プログラミングとの出合いはいつでしたか。
小野:小学4年生ですね。近所の2つ上のお兄ちゃんがプログラミングをしていて、テレビだと映像や音が一方的に流れるだけなのに「画面をコントロールしている!」と驚きました。
中学校に入り、英語の授業で筆記体を書いたら「死んだミミズみたいだ」と先生に言われ悔しくて。筆記体が書けるワープロを自分でプログラミングし、印刷した宿題をもっていきました。「自分でつくったソフトだから僕の字です」と。ロジックは単純で、文字と文字のつなぎ部分の曲線を計算すれば筆記体っぽくなるんです。
植野:結構な時間をプログラムに費やしていた。
小野:タイピングが速かったんです。でも、足も速かった。中1で野球部に入ったたものの指導が理不尽でやめたのですが、中2のときに陸上部に来てほしいとスカウトされました。
植野:体育系の部活をしつつ、プログラミングを。
小野:基礎教養は「読み書き、そろばん、コーディング」みたいな感覚です。高校でも陸上に没頭する合間、ランダムに問題を出してくれるプログラムを自分でつくって勉強しました。
インターネットが一気に広がったのが大学時代です。先輩の鈴木健さんたちとソフトウェアをつくりながら新しいサービスを考えました。昔から、プログラミングの「何かを変えていく力」に魅力を感じていたんです。
植野:独学で来た小野さんが大きく影響を受けたのが、米国での勤務時代だと聞きました。
小野:ダグラスという上司が生粋のシリコンバレーっ子みたいな人でした。あるとき、向こうのコンサルのレポートを見たら、基本的なところを間違えていた。「こんな人の言うことを聞く必要はないんじゃないか?」とダグラスに言ったら、「カズの言うように間違えがある提案かもしれない。でも、私たちのプロジェクトに採り入れられるいいところを見てほしいんだ。欠点を教えてもらいたいとは思わないんだよ」と言われて、カルチャーショックでした。
その後、これが僕の基本的な考え方になっていて、いまのチームの4カ条にも「欠点についての言及は禁止」と書いてあります。