ちょっと引いた視点で“評価デザインの価値観”について考えながら、全体を振り返ってみたいと思います。
若手漫才師日本一を決める超人気TVイベント、M-1グランプリの話をさせてください。僕も毎年楽しみにしていますが、この連載でお話してきた観点で見ると、あの採点システムには気になる点がいくつかあります。
M-1の採点システムは、“面白い”と思ったら高得点をつける、という極めてシンプルな作りになっています。“技術点”とか、“芸術点”という、細かい項目は一切ない。これ自体は別にいいのです。以前話した通り、細かければいいということではありませんから。
ただし、“面白さ”の定義が不明瞭なのです。果たして誰にとって面白いか、という点に関して説明がありません。
これは多分、審査員一人一人にとって、ということなのだと思うし、“笑い”がとても感覚的であることから考えても、それが分かりやすい基準。
でも2018年には、上沼恵美子さんが自分の感情で採点していると一部で批判されて、物議をかもしました。
それの何が悪いのでしょうか。もし、それは困る、ということであれば、世の中一般の人にとって面白いかどうか、で審査されるようにしなければならず、そのことが明確に伝えられていなくてはいけません。
そして、この場合にはやはり、面白さを“分”けて“析”することが必要になります。例えば暴力的であったり、品がなさすぎたりすることがないか。ネタの題材が限定的すぎて、ごく一部の人にしか分からないといったことはないか、なども評価の対象になるでしょう。
また、“点数”の基準も謎です。何を以て100点として、何を以て80点としているのか。今まで説明があったことはありません。
例えば、その2018年。最高点と最低点の差が一番小さかったのは中川礼二さんと富澤たけしさんで(6点差)、続いてオール巨人さん(9点差)、逆に差が一番大きかったのは塙宣之さんでした(16点差)。立川志らくさん、松本人志さん、上沼恵美子さんも差が大きくて、14点差。結果的に、かもしれませんが、一人一人の評価が平等であるように見えて、塙さん以下後者4名の評価は、前者2名の2倍以上の重みを持っていたことになります。
果たして、評価の物差しは統一されていたのでしょうか。もしそうでなかったとすると、基準が定義されていないシステムに問題がある、ということになります。
ここまで読んで、こう感じる人もいるかもしれない。何をめんどくさいことを言ってるんだ、と。そんなに“笑い”を四角四面に考えたら、ちっとも面白くなくなってしまう。楽しけりゃいいんだよ、と。