キャリア・教育

2022.08.06 18:00

M-1騒動に学ぶ、「評価のデザイン」一番のポイント


その通りなんです。楽しけりゃいいんです。ただただ漫才を見て、面白かったとか、そうでもなかったとか、それぞれが好き勝手に言っていればいい。僕も毎年観ています。だって漫才が面白いから。まさかテレビの前で「この漫才コンテストの評価システムのデザインに問題が...」なんてぶつぶつ言ってたりはしません。

でも番組を“競技”として笑いに順番をつける、という道を選んだM-1グランプリには、何千組もの漫才師たちが評価されたいと応募し、視聴者もそれを観たいとテレビの前に集まる。優勝者には1000万円が贈られるし、優勝したり上位になった漫才師たちが、急に世間中の注目を集めたりもする。

もし評価システムの問題で、本来ならば決勝戦に進出してもおかしくなかったのに、日の目を見ずに敗れていくコンビがいたら──? 彼ら、彼女らの人生は変わっていたかもしれません。面白さに点数をつけることがいかに難しいことであったとしても、正直にその難しさをさらけ出しながら、最大限の努力で向き合っていく必要があります。

そして、評価対象に対して向き合うことは、その評価対象に対する自らの価値観に向き合うことと同義です。

会社が社員の人事評価をする時、そしてそのために評価のデザインをする時、人間性という価値観を根幹に置くのか、会社の売上への貢献を重視するのか、それともその中間か、あるいは全く別のことを大事にするのか。その会社の人事部や、社長や、ひいては会社全体が、自分たちはどういう組織でありたいか、という根源的な問いを突き付けられているのです。


wan wei / Shutterstock.com

逆に、なんのための評価であるかという点がしっかり考えられていれば、細部にあまりこだわり過ぎる必要はありません。僕が評価をデザインする時にも、「評価項目がAからZまであって、その計算式はこう、基準の定義はこう...」といった、システムのプログラムを書いていくようなことに囚われるより、ちょうどよくゆるやかな“ビジョン・指針”を作っていくことのほうを重視しています。

つまり、デザインされた評価システムにおいて、ある人は72点、もう一人は74点と評価された時に、後者が絶対に優れているという結論を導き出せるようにしましょう、ということではなく、その点数の違いについて、評価者が皆で議論しあって、その二人(具体的な評価対象)についてだったり、評価という行為自体についても理解が深まっていくような礎、土台を作っていきましょう、ということなのです。

何かを評価して優劣をつけるという行為は、現代社会において我々の生活を多少なりとも支配している資本主義経済の宿命かもしれないし、そもそももっと根源的な人間の性かもしれない。

いずれにせよ、大なり小なりの選択が続く人生において避けて通れない“評価”という行為について、こんなふうに考えてみることが少しでも皆さんのヒントになればいいな、と願っています。

>> 連載:メジャーリーグで学んだ「人を評価する方法」

編集=宇藤智子

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