1人で仕事をするということは、当然リスクも伴う。収入の不安定さはついてまわるし、来年の、いや数カ月先でさえ、どうなっているか誰も保証してはくれない。社会的な信用も一般的にはあまりないのかもしれない。
しかし、なぜ自らその選択を取り続けているかといえば、強いて言えば「悪くない」からだ。「悪くない」、理由はそれで十分じゃないかと思っている。そして、ふだんフリーランスとして仕事をしていると、類は友を呼ぶと言うべきか、意外と1人や少人数で仕事をしている人たちに出会う。
先日、久しぶりに会った「彼」もその1人だ。彼は相変わらず服について語り出すと止まらなかった。あまりにも楽しそうに話すので、こちらも刺激され、はじめは冬の太陽はまだ見上げる位置にあったはずだが、最後にはきれいな半月が顔を出していた。
のどかな街に開いたセレクトショップ
服については一家言持っているが、彼はデザイナーではない。しかし、まるでデザイナーが自らデザインした服について語るかのように、穏やかに、しかし饒舌に、自らの店に陳列されたシャツやニット、カーディガンについて語る。よどむことなく、それぞれの服が持つ特性や、専門性というフィルターがなければ見逃してしまうような細部の縫製についても丁寧に解説を加える。
「僕の仕事は水に味をつけることなんです。それぞれの服のバックグラウンドや、ブランドのコンセプトを理解するのは当然のこと。僕の役割はそれらを踏まえたうえで、僕なりの解釈を加えて商品が備えている魅力をお客さんに伝えることなんです」
こう語る彼は、自分の仕事を「翻訳者」になぞらえる。芸術家肌のデザイナーが掲げるコンセプトがときに難解であるのはよくあることだが、それらを掬い上げ、咀嚼し、必要であればお客さんとの間にあるズレや先入観を調整する役割をも担う。翻訳者が言語間に存在する過不足の部分を自らの知識と感性で埋め合わせするかのように。
彼こと井本征志が、自ら「洋品店」と呼ぶ「Euphonica(ユーフォニカ)」には、店主である井本が厳選した数々の服飾品が整然と並んでいる。