こうなる時はたいてい、何かが満たされていない。「満たされない」というのは、やっかいなものだ。希望とは違う現実があるために、モヤモヤが生じ、心をふさぐ。けれど、原因を探ればすぐに解決できることばかりではない。だから、モヤモヤは簡単に去ってはくれない。
絵本にも、そんな気持ちを抱えた人物の話がある。『ぜつぼうの濁点』(原田宗典/作、柚木沙弥郎/絵、教育画劇)は、小説家・原田宗典の文に、染色家・柚木沙弥郎が絵を描いた、洒脱な作品だ。
『ぜつぼうの濁点』(原田宗典/作、柚木沙弥郎/絵、教育画劇)
めっぽう変わった1冊で、舞台からして突拍子がない。ひらがなたちの暮らす「ひらがなの国」の、「ちょっとした椿事(ちんじ)」の顛末を描いている。
この椿事の主人公「濁点」が、満たされない心の持ち主である。濁点とは、ご承知の通り、点々のこと。「ぜ」とか「ぶ」とかについている、あの点々だ。
ある日、ひらがなの国の道端に「どういうわけか『゛』と濁点のみがぽつねんと置き去りにされ」ることから、話は始まる。ひらがなの国の住人にしてみれば、文字として読めない濁点だけがあるこんな事態は、前代未聞の不手際だった。濁点は、わけを聞きたがる群衆に取り囲まれ、自分がここに行き倒れるまでを語り始める。
「じつは自分はあの山のむこうの深い森に住む『ぜつぼう』に長年仕えた濁点でした」
濁点は「ぜつぼう」の「ぜ」の字にくっついて、数百年も働いてきた。けれど、なにせ主(あるじ)は「ぜつぼう」だから、絶望に始終浸りきっている。濁点はそんなぜつぼうを不憫に思い、いつしかその気持ちは、自身の存在の否定へと変わってしまった。
「自分みたいな『゛』がついていなければ主は『せつぼう』という悪くない言葉でいられたはずなのに」
主の絶望は、己の存在に端を発している──。だから濁点は、どうか自分を捨ててくれと主に懇願した。それが叶った結果として、紐づくあてもないまま、行き倒れていたのだった。
絵本というと普通は、のほほんとして、明るいストーリーが描かれているのではないかと思われがちだ。でも、これは全くそういう雰囲気ではない。ずん、と重い。
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むしろ、落ち込みにとことんつきあってくれる一冊とでも言おうか。読んでいるこちらの心は、濁点のふさいだ気持ちを追いかけ、いつしか濁点そのものに同化して、暗い感情の沼を深く深く沈んでいく。
こんなに重苦しい話なのに、絵と言葉にはどことなく軽さがある。それが、せめてもの救いである。
濁点と読者は、とことん落ちるところまで落ちきる
濁点という人物は、満たされていない。
どんなに一途に仕えても、せっかくの働きが、幸せにしたいはずの相手をどんどん不運に陥れていくのだとしたら、誰だってやるせない。そこに居続けるかぎり永遠に満たされない思いが、暗闇となって、彼の内側に渦巻いている。