ウェストバージニア州のザ・グリーンブライアーでは冷戦中、米議会の緊急避難場所として秘密の地下壕(ごう)が建設された。ジュリア・ウォード・ハウが「リパブリック讃歌」の歌詞を書いたのは首都ワシントンのウィラードだ。またウォーレン・ハーディング米元大統領は1923年にサンフランシスコのパレス・ホテルで亡くなり、死因は心不全とされている。
ここでは、フォーブス・トラベルガイド編集者が選んだ、米国の歴史が詰まった13のホテルを紹介する。
ウィラード・インターコンチネンタル
同ホテルの始まりは1818年までさかのぼる。ホワイトハウスからわずか2ブロックの距離にある同館は、エーブラハム・リンカーンの就任前の一時的な住居とされるなど米国史の中で常に役割を果たしてきた。
同ホテルの壮観なロビーは「ロビイスト」という言葉を生んだ場所でもある。第18代米大統領のユリシーズ・グラントが、葉巻とブランデーを楽しもうとしていたところに頼みごとをするため近づいてくる人を「ロビイスト」と呼んだのが起源だ。
その約1世紀後、キング牧師はこの同じロビーに座り、数時間後にリンカーン記念堂で読み上げられる有名な「私には夢がある(I Have a Dream)」のスピーチを書き上げた。
セントレジス・ニューヨーク
セントレジスブランドは、マンハッタン中心部のこの象徴的なホテルから始まった。名前の由来は、旅行者を温かくもてなしたことで知られた聖ジョン・フランシス・レジスだ。
同館は、ジョン・ジェイコブ・アスター4世が1905年に開館。各部屋に電話を取り付けるなど当時は豪華な設備で、19階建ての同ホテルはニューヨークで最も高い建築物だった。アスターは1912年、タイタニック号の事故で亡くなっている。
バーテンダーのフェルナン・プティオが1934年、元祖「ブラディメアリー」を作ったのも同館だ。ところが、名前に品がなさ過ぎて上流社会向きではないとされ「ブラディメアリー」は「レッドスナッパー(The Red Snapper)」と呼ばれるようになった。同カクテルは今でもキング・コール・バーで提供されている。
パレス・ホテル
欧州の壮大なホテルに対抗すべく作られたサンフランシスコのランドマークであり、世界最大のホテルとして1875年に開館した。建物の大部分は1906年の地震で崩れてしまったが、その後再建され、1909年に営業再開を果たした。
同ホテルは、145年以上にわたる歴史の中で多くの政治家をもてなした。第28代米大統領のウッドロー・ウィルソンがベルサイユ条約の演説を行った場所も同館だ。