人生で下した決断の中で最も正しかった「毎日がワーケーション」という選択

浅生亜也さん

ここ1年で移住者が急増している軽井沢。本稿では、軽井沢に移住・二拠点居住された方々にインタビューし、彼らの新しいライフスタイルを通じ、将来のリゾートテレワーク・ワーケーションを予測していく。

第6回は、幼少から大学までずっと海外で過ごされた浅生亜也さんにインタビューした。幼少期はブラジル、高校・大学はアメリカと長い海外生活とホテル事業を展開されているご経験から、将来の理想的なライフスタイル、ワークスタイルについて聞いた。(第1回第2回第3回第4回第5回はこちら)

null
浅生亜也さんの軽井沢のご自宅の前で 雪深くてもJEEPなら安心

鈴木幹一(以下、鈴木):浅生さんが軽井沢に移住されたきっかけはなんでしたか?

浅生亜也(以下、浅生):私が軽井沢に移住したのは2016年の夏のことです。2017年まで代表を勤めていた会社の事業所(元旧軽井沢ホテル)がここにあったので、2014年から頻繁に東京と行き来していました。

ちょうどその前年に東京ではオリンピック・パラリンピックの誘致が決定し、それに向けて国立競技場の解体工事が始まっていたのですが、すぐそばのマンションに住んでいた私は、解体工事の粉塵でひどい喘息に悩まされ、夜も体を少し起こした状態でなければ眠れないという日々でした。

軽井沢との行き来する中で、ふとある日、軽井沢のホテルでは熟睡ができていることに気づきました。他にも色々な理由が重なっての移住なのですが、最終的な決め手は「上質な眠りを得られること」でした。

鈴木:軽井沢に来るとよく眠れると皆さん言われています。標高1000メートルの高原リゾートは、居心地がいいのかもしれませんね。色々な理由が重なってとのことですが、他にもどんなことがきっかけになりましたか?

浅生:私は2000年初頭の平成不況終盤ごろから、通算20年ほど日本のホテル業界に身を置いています。株価も不動産価値も底をつき、そこに「ハゲタカ」などと揶揄された海外投資マネーが流入してきました。

私はその片棒を担ぎ、当時、先駆けでもあった某外資ファンドの下で、日本のホテル不動産を次々と取得し、ニューマネーを投じてバリューアップする再生事業に携わり、わずか3年半で23軒ものホテルを手掛けました。気温差20度の沖縄から北海道までを年中出張で飛び回る毎日でした。

その後、2007年に独立し、アゴーラ・ホスピタリティーズを立ち上げました。私が退任後の同社は少し方向性が変わりましたが、当初は地方のリゾートホテルや旅館の運営再生をコア事業としており、在任期間10年で13軒を運営するグループになりました。この間もホテル現場への出張続きで、年間250日はスーツケースをゴロゴロ引っ張っているのが日常でした。

こうなると、もはや東京に帰ってくる理由が見つからない。帰る家は何も東京になくても良いのではないかと考えるようになっていました。
次ページ > 「最も正しかった」軽井沢への移住

文=鈴木幹一

ForbesBrandVoice

人気記事