第二回は、リーマン・ブラザーズ日本法人の代表清算人を務められた後、2年半前に軽井沢町に移住された冨川久代さんに、劇的に変化したライフスタイル、人々とのコミュニケーションについて聞いた。(第一回)
鈴木幹一(以下、鈴木):軽井沢には外資系金融機関にお勤めだった方は多くいますが、あのリーマン・ショックのリーマン・ブラザーズの代表清算人を10年もされたとはかなり貴重なご経験ですし、素晴らしいキャリアですね。さらに破綻の3カ月前に入社されたというのも驚きです。そこから180度がらっと変わった軽井沢でのライフスタイルは、そんな大変なお仕事をされていたようには見えないくらい、軽井沢になじんでいらっしゃいますよね。
冨川久代(以下、冨川):私は、2008年6月、それまで勤務していたヨーロッパ系証券会社からリーマン・ブラザーズに業務部長として着任しました。その3カ月後、歴史的経済事件である「リーマン・ショック」が起き、リーマングループは世界中で破綻しました。
知的(および人的)財産である日本のリーマン・ブラザーズの社員は、その譲渡契約により、日本の証券会社トップ企業である野村證券に希望すれば転籍できたのですが、私は、破綻処理の代理人弁護士事務所に要請され、清算人(2010年からは東京地方裁判所により代表清算人に任命される)として、債権債務の整理を行うためリーマン・ブラザーズに残留し、結果として2018年まで10年かけて清算業務を担うこととなったわけです。
私を知る多くの同業の知人・友人、システムベンダー会社の担当者から「冨川さんがリーマン・ブラザーズに入社したのは、この清算業務をするために運命に導かれてきたのだ」と言われたものです。それほど、「適材適所」だったという事でしょう。幅広い金融商品知識と、日本国内のみならず海外の決済制度の知識を有する私は、その後、省庁対応や裁判対応、国内外の債権者とのNegotiationに駆り出され結果を残しました。
一方、私の軽井沢への移住についても、後に仲の良い友人となる複数の移住組の友人から「軽井沢に久代ちゃんが登場したのは凄いセンセーショナルだった」と言われ、「私達のライフスタイルをも劇的に変えた」とまで言っていただきました。 そういう意味では、「運命に導かれてきた軽井沢移住」だと思います。