冨川:それでも移住当初、そんな状況に戸惑いを感じたこともありました。それまで私が金融業界でキャリアを重ねてきた中では経験することのなかった、人の善意というものに、何かお礼の品を渡したほうがいいのではないか、と迷ったこともあったのですが、ある時、「ああ、素直に、心から喜ぶことが、ここ軽井沢では最大の感謝の表現になるのだ」と気づいたのです。他者に対して善意を施せる人が集まっているのが軽井沢であり、お礼をしてしまうと却って失礼にあたり、その善意はそこで完結してしまいます。
ですが、いつか、私が、別の方に、別の機会に、別の形で善意を施すことができれば、その連鎖は続いていくでしょう。「Pay (it) Forward(ペイイットフォワード)」、私の好きな言葉です。
冨川さんが2019年に軽井沢にオープンしたセレクトショップ「CONSTATINA」
鈴木:なるほど、恩は返すものではなく、繋いでいくもの、ということですね。冨川さんは軽井沢移住3年目ということですが、軽井沢ならではの文化をどのように感じていますか?
冨川:軽井沢は外国人の避暑地として、そして政財界の社交の場として、上流階級の別荘地として栄え、その名残を残しつつ、今でも人々がある種の憧れを持つ、日本でも独特の場所といえるでしょう。ですが実は華やかなだけではない軽井沢の歴史の上に、そうした上流階級文化は、形が変わってきたものの、今も確かに受け継ぐものは、目に見えない「品」だと感じています。
私のように、決して裕福ではない家庭で育った身としては、どんなに成功したキャリアをもってしても、歴史に名を遺すご先祖を持つ人や、親、祖父母の時代から別荘を所有している由緒正しき富裕層の方々の前では、引け目を感じてしまいますが、そんな彼等は、ひけらかすことや声高になることをしない「品」を持っていらっしゃいます。そこにはヘゲモニー(覇権)は存在しません。ジェンティリティ(上流階級さ)はなくとも、バランス(調和)という品をもつと認められた者を、自然と受け入れる許容範囲があります。
軽井沢では自分の利益だけを考える人は品がない者として淘汰されていっているのではないかと思います。そうしたインビジブル(見えない)な秩序と信用が存在するのも軽井沢の魅力のひとつかもしれません。