この動きにあわせ、この20年間、欧州各国のファッション系や経営系の大学がラグジュアリーを体系的に教える修士課程を設けています。ただし、当初は欧州高級ブランド企業の新興国現地マネージャー育成の色彩が強かったのが、最近では様相が変わり、既にそうしたフィールドを担当する戦略コンサルタント企業の社員らが学生として通っています。
つまり、20年間に生じた「肥大化したラグジュアリービジネス」に嫌気をさした人たちが、新しいラグジュアリーのありかを探っているのです。いまのビジネスがこの後も継続できるとはとても思えないので、次の展開を図るために足固めをしているともいえます。
勉強会で青木さんが宗教改革になぞらえたのは、新教の台頭を招いた旧教の腐敗を指摘していることを想像させ、この点でも面白いです。日本の多くの人がこの新しい動きに気づいていないことを、中野さんは「ラグジュアリービジネスが盛り上がらない」と表現したのではないかと理解しました。
言葉というところでいうと、ラグジュアリーという言葉を好まない高級ブランドの経営者は少なくなく、彼らはたとえば「ハイエンド」という言葉を使っています。モノやサービスの品質から経営姿勢まで含め、何事においても「高いレベル」であることを重んじる。そういう人たちは供給と需要の両サイドにいるわけですが、このフィールドの範囲やコミュニケーションを変化させていきたいと強く思う人たちが、上述の修士課程にいるのだと思います。
イタリアの高級ブランド企業が集まるアルタガンマ財団が多用している「エクセレンス」という言葉もあります。ハイエンドは相対的価値ですが、エクセレンスは絶対的価値です。
つまり、新しいラグジュアリーを探る人たちも、純粋にエクセレンスを極めていきたいタイプと、高利益のビジネスに携わりたいという2つのタイプがあると考えてよいと思います。
ラグジュアリーは“toy model”である
世界のラグジュアリー最終消費財ビジネスの売り上げのおよそ70%は欧州企業です。そして、OECD(経済開発協力機構)とEUIP(欧州連合知的財産庁)の2019年度の知的財産に関する報告書によれば、知財がコアにあるビジネスはEU全体のGDP(2011-2013年)の42%を占めています。そのうち知財の上位3つが商標(35.9%)、デザイン(13.4%)、特許(15.2%)です。
2019年のEUにおけるGDPの3〜4%がラグジュアリー領域ですから、知財とラグジュアリーを等しくみることはできませんが、それでもロゴとデザインへの依存度(影響力)がいかほどかを想像する参考にはなります。
ラグジュアリー領域を探るのは知的興奮を呼ぶ行為です。勉強会に参加いただいている静岡大学でマーケティング系の科目を教える本條晴一郎さんが、昨年11月の勉強会の後、次のようなメッセージを寄せてくれました。
「ラグジュアリーが現代社会を考えるうえでとても面白い素材だということを今回も実感しました。ラグジュアリーは消費現象の極端な場合になっていて、toy modelとして理想的だと思っています。toy modelというのは物理学の用語で“本質のみを簡略化して抽出したモデル”という意味ですが、さらにラグジュアリーは実際の社会的インパクトもあるので面白いです」
彼のtoy modelという比喩にぼくが膝を打ったのはいうまでもないです。危険を察知する「炭鉱のカナリア」という表現もありますが、ラグジュアリーはtoy modelであり、それゆえに良い意味でも悪い意味でもカナリアなのかもしれません。
連載:ポストラグジュアリー 360度の風景
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