中野さんは、これまでのラグジュアリーが岐路にたつに至った経緯を言葉を軸に再確認しておこうということでした。それでは、ぼくは別の観点からどういう整理の仕方があるかを考えていきましょう。
そこで共通に認識しておきたいことが一つあります。同時にそれが議論の出発点になるのですが、中野さんの文章中にある「ラグジュアリービジネスが、海外に比べて日本でそれほど盛り上がらないのは……」というところです。
実際、日本は市場規模でいうと十分に大きいです。パンデミックによって大きく落ち込んだ数字ですが、昨年末のベイン&カンパニー社のデータによれば、世界でラグジュアリー最終消費財はおよそ年間27兆円市場で、そのなかで日本の占める割合は8%。南北米が29%、欧州が27%、日本以外では唯一中国だけが一国で20%ですが、この数字からも日本の存在感がわかります。
それにも関わらず、「ラグジュアリービジネスが盛り上がらない」と中野さんがおっしゃってしまう。その理由は何なのでしょうか。
中国人ほど、昔ほど、夢中になれない
この10数年近く、中国人の購買意欲が凄まじく、その購入ぶりは日本国内でも「爆買い」としてリアルに見ることができました。そして「もうあんなにはラグジュアリーに夢中になれない。中国人に比べると私たちは冷めている」と日本の人たちは思ってしまったわけです。しかし、世界の市場でみれば、その日本の人たちがとても冷めているとは見えない。こういう乖離があります。
中国での「爆買い」の様子(David Wong / by South China Morning Post via Getty Images)
1998年、学術論文としてラグジュアリーを最初に取り上げたとされるホセ・ルイス・ヌエノによる『マスマーケティングのラグジュアリー』では、金融経済が好調の米国の人と日本の可処分所得の多い女性がラグジュアリー市場をリードしたという説明をしています。
1990年代半ば、イヴ・サンローランで60%、クリスチャンラクロアで40%、エルメスで35%の売り上げがアジア関連の割合だったの指摘がありますが、当時のアジアとは、ほぼ日本と香港のことです。特に海外の直営店や空港の免税店が主舞台で、空港免税店の顧客の40%は日本人でした。米国人の5倍もあったようです。
ルイ・ヴィトンが1970年代の後半、第二次世界大戦後初めて欧州外に直営店を出しましたが、その場所が日本でした。「欧州文化への憧れを利用するビジネス」があることに気がついたのです。そこから15〜20年の歳月を経て、そのビジネスが経営学者の研究対象になるに至っています。
この時期の熱狂ぶりが記憶にあり、なおかついまだに神話として残っているから、日本の人たちはラグジュアリーに昔日の想いが強いのでしょう。そのために若い世代も「バブル経済というがあったらしい。私には無縁だけど」と、ラグジュアリーの動向に関心を寄せにくいのだと思います。しかしながらグローバルにみれば、1990年代半ばの3倍以上に市場規模は拡大してきました。