連続起業家の家入一真さんと18歳の時に結婚し、約10年間の結婚生活を経て2014年に離婚。31歳で、遅まきながら社会人デビューした。シングルマザーとして息子と娘を育て、今年8月に18歳と15歳になった子どもは同時に巣立つことになった。当初は結婚生活を「やめる」ことは、それまでの自分自身の選択を否定し、後ろめたさを感じる時期もあった。
昨年から、生きづらさを抱える人たちが自身の話をしたり、エッセイを執筆したりする「もぐらの会」を主宰し、サロンのような場づくりをしている。そんな紫原さんがコロナ禍に「やめた」こと、そこから得た気づきとは──。
結婚生活を「やめる」決断 社会との繋がりを求めた
紫原さんは、地元福岡でジャズシンガーを目指す音楽の専門学生だった時に結婚、出産を機に学校をやめた。結婚後、元夫の家入さんはインターネットのサーバーを貸し出す事業で起業すると、みるみるうちに拡大させた。会社は、2004年にはGMOの連結子会社となって東京に移転し、家族も東京へと渡った。
だが、夫婦間の関係性は変化した。離婚を決断する4年ほど前から、元夫とは別居状態に。その間、紫原さんは2人の子どもを育てながら、ひとりで悶々と悩み続けた。
「1回家族になったら、その舞台から降りるのは不安もあったし、自分だけで楽しめるか心配でした。別居の間は子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいで……だけど、そんな風に接すると重いだろうなと思って、子どもたちとは楽しく生きられるようにしていました」
気づけば、紫原さんにとって、子育てを通じて出会った「ママ友」コミュニティが、唯一社会との繋がりだった。「社会に出る足がかり」を求めて、非営利団体のIT勉強会をボランティアで手伝うように。そこで出会ったある社長に声をかけられ、出版社の雑用アルバイトとして入社。のちに社員となり、秘書・広報として1年勤務した。
「私の周りには働いている友達もいなくて、子育てに専念してきた私が履歴書を送っても、家族3人が現実的に生活ができるような仕事を見つけるのは無理だろうなと思っていました。出版社での仕事は忙しくて大変だったけど、必要とされていることは嬉しかったです」
働くことの「手応え」を感じ始めたころ、ひとりで都知事選出馬を決めた家入さんが、報告しにきた。出馬には反対したが、その晴れやかな彼の顔を見て、紫原さんの覚悟も決まった。