ドイツ生まれ、ロシア育ちのViviさんは、ファッションの夢を追いかけて18歳で来日したが、モデルになるまでは紆余曲折あった。
今年は注目を浴びつつも、身近な大切な人を失い、自分の内にある深い悲しみや怒り、弱さと向き合った1年だった。
「人生最大の試練」が与えられたというが、彼女はどのようにしてその状況を乗り越えたのだろうか。SNSやメディアを通じて見える華やかな世界の裏側で、「やめる」決断にかけたViviさんの本当の思いとは──。
ファッションデザイナーの夢を抱き、見知らぬ日本へ
Viviさんは18歳で来日した当初、違う夢を抱いていた。
「ファッションデザイナーになってハリウッドスターのために素敵な衣装デザインをしたくて、海外で学ぼうと思いました。選択肢はニューヨーク、ミラノ、東京の3つ。私にとっては、ニューヨークやミラノに行く方が簡単でした。だからこそ、あえて東京に行きたかったんです」
英語はすでに堪能だったため「何も知らない場所で挑戦したい」と思った。言語だけでなく「美しい」という感覚さえも異なる日本に身を置くことで、視野が広がると確信していたからだ。
日本で約9カ月間語学学校に通ったのち、文化服装学院のファッション高度専門士科(4年制)に進学。在学時にスカウトされ、フリーランスでモデルを始めたが、学校の課題で忙しく、時間がある時にだけするアルバイト感覚だった。しかし2年が経ったころ、彼女は大きな選択を迫られる。
2015年ごろにはウクライナ危機などの影響を受け、母国ロシアの景気が急速に悪化。親から経済的に支援してもらうことが難しくなった。「これ以上負担はかけたくない」。Viviさんは、中退を決断した。
ファッションデザイナーというゴールが見えていたはずなのに、突然その夢が断たれてしまった。貯金がなくなるまでの数カ月間は、家にこもって今後について考えた。いくら本を読んでも、答えは見つからない。ビザの問題や金銭面の不安も抱え、焦るばかりだった。
「何をやっていいか分からないなかで、正解はないんだから、興味があることは手当たり次第やってみることにしました。試したことを全力でやるしかなかったんです。100%でやってダメなら、違う道があるとわかるので」