渋谷の木造3階建ての1室で始まった「オンライン書店勉強会」
ネットエイジの事務所は渋谷・松濤。1階が歯科医院の古い木造3階建の2階で、「ITネットベンチャーのときわ荘」とも言われていた。そして、1998年のゴールデンウィークから、そこで始まったのが「ネット書店勉強会」である。そこには別ルートで西川から紹介された岡村の姿もあった。
翌年の春にかけ、半年の間、7〜8回ほど集まっただろうか。
この頃岡村は、西川のつてにより、当時、住友商事でライコスジャパン(検索エンジンのアメリカ大手)の立ち上げを率いていた人物から「アマゾンがマイクロソフト系の人脈の人物を日本アマゾンの社長にしようとしている」と聞く。アマゾンの日本進出は本気らしい。それならば自分が話をしに行くべきか……。
当初はネット書店を自分で起業したいと考えていた岡村だったが、西野を始めとする「ネット書店勉強会」の仲間たちに、このままでは資金も集まらないし、まずはベゾスに接触するべきだと強く勧められてもいた。ネットエイジでのレポート作成のため、アメリカ現地のベンチャー企業社長に日常的にメールしていた西野や西川から、「直接メールしてみたら」の提案もあったのである。
西野にとってアマゾンは「パワー・トゥー・ザ・ピープル(人々に力を)」の象徴だった。
「jeff@amazon.com」にメールを
岡村はそこで、駄目でもともとと、知人たちに「アマゾンのジェフ・ベゾスのメールアドレスを知らないか」と問い合わせる。すると人を介して、カリフォルニアでアメリカ企業を日本に持ち込むコンサルティング事業を営んでいたある人物から、「ベゾスのメルアドなら知っている」と連絡が来たのである。
さっそく、入手したアドレス「jeff@amazon.com」に、「日本でオンライン書店を始めようとしている。興味ありますか?」旨のメールを送信。
すると、なんと翌日、Faxで返事が来た。そこには、「関心がある。M&AブティックのJTPジャパン・トランザクション・パートナーズにいる、アマゾンのM&A担当のニック・ベネッシュに連絡をするように」と書かれていた。
岡村はさっそく、五反田のオフィスにニック・ベネッシュを訪ねた。ニックはアマゾンからリテイナー・フィーをもらって、各国にパートナーを探し、橋渡しをする任を負っている人物だった。
会うなり、「あなたは何者ですか」と質問してきたニックに、岡村は「仲間と一緒に相当な時間を投資してオンライン書店を研究している」と答えた。結果、岡村、西野、西川、そして、ジェリー・カプラン著『Startup』のURLを岡村氏に送ったあの人物、ほか1名がそれぞれ、ニックから面接を受けることになった。
ベゾスとの面会、そして「信濃川プロジェクト」発動
その後、「ジェフが会いたいと言っている」という連絡があった。サラリーマンである岡村には、9月3日前の3連休しか選択肢がない。ほかの2人も予定を合わせ、往復5万円の飛行機を自腹で予約し、シアトルへ。
この時、西野の胸には「そんなバカな、本当にこんなにすぐ、上陸の話が進むのか?」という懐疑心があった。ネットエイジでのレポート制作を通じ、ベンチャー企業トップとのやり取りには慣れていたものの、この時期のアマゾンはすでに従業員数700名を越す大企業。そこまで簡単に行くはずがない、正直、時間の無駄では、とも感じていたのである。
だが、西川から言われた「でも、ジェフ・ベゾスのサインをもらえるかもよ、しかも、会って、直接だぞ」の一言が決め手となった。「ジェフのサインがもらえるなら、それだけでコストをかけて行く価値がある! ネット信者としては、この機会は逃せない」という思いだ。
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