実は西野はNTTに勤めるかたわら、「産声を上げたばかりのインターネットで何かやれないか?」を社外の場に問うていた。通い始めたのが、私立の経営大学院「グロービス」創始者、堀 義人の主宰による、経営学修士号(MBA)ホルダーたち向け勉強会だ。
そしてそこで出会った、当時AOL日本法人の西川 潔と、1998年、スタートアップインキュベーター「ネットエイジ」を立ち上げることになる。
ネットエイジでは当時、『米国サイバービジネスレポート』を作っていた。「ネットビジネス」という呼称はまた一般的でなかったのである。アメリカのインターネット業界のベンチャー(スタートアップ)企業100余社のレポートを、現地のベンチャー企業社長に日常的にメールして取材しながら作成し、日本のシンクタンクにプレゼンするのだ。その後、オンライン自動車見積仲介サービス「ネットディーラーズ」をソフトバンクに億単位で売却、その資金で、後のミクシィのインキュベーションをしたりもした。
靴が散乱した「ネットエイジ」の玄関。この玄関先のカオスから、新しいネットの時代の胎動は始まっていた。
ちなみにこのネットエイジには、後にメルカリを立ち上げた山田進太郎、現在では働き方改革の第一人者として知られる小室淑恵、ミクシィの笠原健治、グリーの田中良和らが学生やインターンとして関わっていた。
西野はその頃、NTTのオフィスで日経新聞を広げ、「丸紅、住友商事が、アマゾンの日本支社開設に乗り出す可能性」といった記事を見ていた。
アマゾンは、西野にとっては、(ジョン・レノンの名曲のタイトル)「パワー・トゥー・ザ・ピープル(人々に力を)」の象徴だった。カスタマーレビューや、成果報酬型広告サービスのアソシエイトプログラムを通して、「民衆の力を活用する」ことを最初にやった企業、「Web2.0」をまさに先陣を切って体現する企業だったのである。
「プロデューサーとコンシューマーが一体になった『プロシューマー』が現れ、情報によって民衆にパワーがシフトして行く」とした未来学者、アルビン・トフラーの未来予測をまさに実現したのがインターネットだし、それをビジネスで具体化したのがアマゾンだ。一体これ以上にクールな企業があるか?
「受注100万人目達成。カスタマーは日本人」
西野は1997年11月、アマゾンが「受注100万人目達成。カスタマーは日本人」と発表したことを受けて、テレビで特集番組が放映されたことを覚えている。
カメラは、ジェフ・ベゾスがディストリビューションセンターで、100万人目のお客さんの注文商品のパッケージがコンベアーに乗って流れてきたのを手に取るところに始まり、おもむろに歩いて飛行機に乗るまでを追う。降りたところは成田空港だ。その「100万人目」の日本人の家にベゾスが向かい、インターホンを押して本人に直接届けるまでをルポした番組だった。
実はその頃のアマゾン本体の売上は、米国以外では1位がブラジルで2位が日本だった。ベゾスは、あえて「100万人目」を日本人ということにし、わざわざ来日までしてカスタマーに「届ける」というパフォーマンスまでして、「日本に上陸したい」意志をPRしている──。
このまま手をこまねいていれば、大手商社などの食指が外資系オンライン書店開設に動き、彼らがアメリカサイドとの交渉を始めてしまう。そうなれば、アマゾンは彼らの手で上陸してしまう。西野は焦っていた。