ビジネス

2017.08.31

僕が「番組を作らないディレクター」になった理由

この連載でも紹介してきたプロジェクトの数々。


僕は自分の作る番組のことが世界中の誰よりも好きで、大事に思っていたので、番組を出すたびに「もったいない」と感じていました。もっとしっかりPRできたら、もっと多くの人に番組の情報や価値を届けられるのに、つい僕らは番組を作ることに集中しすぎていて、PRにまわす気力や体力や知恵が残っていないことが多かったのです。

そんな状況を変えなきゃと何度かPRの提案もしたことはありますが、「それも大事だけど、2か月後のこの枠のネタはどうするの?」と言われてしまうとぐうの音も出ません。

僕は番組を作ることも好きでしたが、自分の番組を愛するあまり、番組をきちんと届ける仕事もやりたいと思っていました。だったら、どうせ番組を作れなくなったんだから、ずっと必要だと思っていたPRの道に入ってみればいいじゃん! と思い立ったのです。

そうなると人生面白いもので、思い立った数か月後に「電通への“企業留学”」の話が降ってわいてきます。留学先を聞くと、PR系の部局とのこと。なにそれ、最高かよ。上司に「どうする?」と聞かれて、食い気味に「行きます!」と答えていました。

そして、9か月の電通生活からNHKに戻ってからは、この連載でも紹介してきた「プロフェッショナルアプリ」「NHK1.5チャンネル」「タイムマシンアプリ」「注文をまちがえる料理店」などを企画し、実行してきました。

こうしたプロジェクトを手掛けていく中で、僕ははっきりと「番組を作らないディレクター」を公言するようになりました。自分でも不思議な感覚なのですが、「番組を作らない」と宣言してからの方が、どんどこアイデアが湧いてくるんです。

はっきりとした理由は分かっていないのですが、ひとつには「捨てるが、勝ち」ということがあるような気がしています。得意だと思っていたり、強みだと思っていることが、意外と自分の発想の幅を狭めてしまっていることってあります。だから、思い切って、あえてその強みを一回どーんと捨ててみる。

僕の場合は、たまたま番組を作れなくなったので、番組以外から発想せざるを得なくなっただけですが、これをやってみるととんでもなく自由で、どこまでも発想の羽が広がります。4年前にもし病気にならずに、番組を作り続けていたとしたら。間違いなくプロフェッショナルのアプリや料理店(はNHKとは関係のない個人的なプロジェクトですけど)を作るなんてことはなかったでしょうし、そもそも思いつきもしなかったと思います。

「災い転じて福となす」とは、昔の人はよく言ったものですよね。病気になったことはある意味で不幸だったかもしれませんが、今の僕から見れば100%オイシイことです。番組は作れなくなってしまいましたが、それでも4年前と同じか、それ以上に自分がディレクターであることに喜びを感じられるようになったのですから。

テレビ局にいるくせに「番組を作らないディレクター」という看板を掲げるのは、時々恥ずかしい思いもしますが、もうしばらくこれでやっていってもいいよね、と思っています。

番組を作らないNHKディレクターが「ひっそりやっている大きな話」
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文=小国士郎

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