イーロン・マスク(53)の最初の妻であり、彼との間の6人の子どもの母親であるジャスティン・ウィルソン・マスク(52)は、元夫と離婚した際にテスラとスペースXの株式の譲渡を求めたが、マスクはこれに応じなかった。
今では世界的な有名人となったマスクは、まだ比較的無名だった2000年から2008年までの8年間にわたり、カナダ生まれの作家、ジャスティン・ウィルソン・マスクと結婚生活を送り、6人の子どもをもうけていた。最初の子どもは生後10週で乳幼児突然死症候群のために亡くなり、その後に双子と三つ子が続いた。
フォーブスは世界一の富豪のマスクの推定保有資産が約3460億ドル(約48兆円)であるのに対して、ジャスティンの現在の資産が約1500万ドル(約21億円)で、マスクの資産の約2万3000分の1に過ぎないと算定している。
マスクのジャスティンへの対応は、後に彼が作り上げた「子どもの軍団」(彼には現在判明しているだけで14人の子どもがいる)の母親たちへの彼の対処の仕方の前例になったと言える。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が先日報じたところによれば、マスクは昨年9月に彼の子どもを出産した保守系インフルエンサーのアシュリー・セント・クレアに対し、秘密を守ることと引き換えに1500万ドル(約21億円)の報酬に加え、子どもが21歳になるまでの間、月10万ドル(約1400万円)の養育費を支払うという条件を提示した。しかし、彼女が子どもの件を公表するとマスクはこの話を撤回し、月々の支払い額を4万ドル(約560万円)に減額したという。
WSJによればマスクはここ最近、X(旧ツイッター)上で母親となる女性を時おり募集している模様だが、最初の妻のジャスティンとは昔ながらの出会い方をしていた。
19歳で出会った最初の妻
1990年代初頭に当時19歳のイーロン・マスクはカナダへ留学し、クイーンズ大学に入学した。そこで出会ったのが、作家を夢見る1歳年下のカナダ人のジャスティン・ウィルソンだった。2人の関係は、マスクがペンシルベニア大学ウォートン校に移った後も続いた。
1990年代半ばにジャスティンはシリコンバレーに移り、マスクとルームメイトと共に暮らしていたが、この頃、マスクは弟のキンバルや友人のグレッグ・クーリと共にソフトウェア会社Zip2を創業していた。
1999年に、マスクと共同創業者らはZip2をコンパックに約3億ドル(インフレ調整なしで約420億円)で売却し、マスクは約2000万ドル(同約28億円)を得たとされる。
彼はパロアルトで約160平方メートルのコンドミニアムを購入し、マクラーレンの伝説の名車「McLaren F1」に100万ドルを投じた。この車の納車の模様は、CNNで報じられ、現場に立ち会ったジャスティンは、「車に100万ドルを払うなんてあり得ない贅沢だ。駄目な人間になって感謝の気持ちを失うのが怖い」と語っていた(この車は後にマスクが事故で大破させた)。