『Forbes JAPAN』2025年5月号の第二特集は、米『Forbes』注目企画である「50 OVER 50」の日本版。「時代をつくる『50歳以上の女性50人』」たちのこれまでの軌跡と哲学、そして次世代へのメッセージを聞いた。
米『Forbes』で「世界で最も影響力がある女性100人」にもランクインした小野真紀子。女性がキャリアを築くのが容易ではなかった時代を経て、トップに上り詰めるまでの軌跡とは。
「5年くらいで会社を辞めるのだろう」。
1982年の春、新卒でサントリー(現サントリーホールディングス)に入社した小野真紀子はそう思っていた。それから40年以上が過ぎ、今や時価総額1兆円を超える国内企業で初となる女性社長として知られる小野の軌跡はグローバルな視点と挑戦の連続で彩られている。
小野のキャリアには、いくつかの重要なターニングポイントが存在する。最初の転機は入社直後に訪れた。国際開発部に配属され、フランス・ボルドーのワイン醸造所シャトー ラグランジュの買収プロジェクトに携わることになったのだ。財務、経理、研究開発、製造など多岐にわたる専門部署のエキスパートを巻き込み、最年少メンバーとしてプロジェクトを遂行した。この経験が小野に「いつかはフランスで仕事をしたい」という思いを芽生えさせた。
当時、サントリーでは女性が海外駐在員になった前例はなかった。それでも小野は自ら手を挙げ、31歳で同社初の女性駐在員としてフランス・パリにわたる。現地のワイナリーの経営陣とともに企業経営に携わり、資金調達や損益計算書(PL)の作成など未知の領域に挑戦した。やりたかった仕事に全力で打ち込み、帰国するころには「サントリーで長くやっていこう」と決意していたという。
41歳でグループ会社だったハーゲンダッツ ジャパンに出向し、パートナーである米国の上場企業ゼネラル・ミルズの経営手腕とブランドマネジメントを体得した。そんな小野に2015年、さらなる転機が訪れる。サントリーホールディングスのグローバル人事部長の役目を仰せつかったのだ。
そのころ、サントリーは海外企業を次々と買収し、グローバル化を進めていた。14年には米蒸留酒大手のビーム(現サントリーグローバルスピリッツ)をおよそ1兆6000億円で買収した。しかし、ビームの社員のなかにはサントリーを知らない人や、日本企業の傘下に入ることに反発を覚える人たちも少なくなかった。
「サントリーの企業文化や哲学を浸透させ、サントリーグループに入って良かったと思ってもらうのが大きな課題でした」
そこで小野はグローバルリーダーシップ育成プログラムを立ち上げ、世界中の社員がサントリーの理念を共有し、横のつながりを強化するための仕組みを構築した。同時並行で、子会社の社員にもさまざまな挑戦の機会を提供しようと、国や部門を越えた人事異動を推進した。
「人事の仕事を通じていろいろなポテンシャルをもつ人たちの存在を知り、個人の力を最大限に引き出すことがビジネスの成長につながるという思いを強くしました。社員一人ひとりが成長し、より豊かな人生を送るためのプラットフォームを提供できる会社でありたい」