WOMEN

2025.03.27 13:30

「ひとつでもいいから前に進めたい」内閣総理大臣補佐官 矢田稚子

矢田稚子|内閣総理大臣補佐官

矢田稚子|内閣総理大臣補佐官

『Forbes JAPAN』2025年5月号の第二特集は、米『Forbes』注目企画である「50 OVER 50」の日本版。「時代をつくる『50歳以上の女性50人』」たちのこれまでの軌跡と哲学、そして次世代へのメッセージを聞いた。

電話交換手から国会議員、内閣総理大臣補佐官へとキャリアを歩んだ矢田稚子。立場は変わりながら男女格差改善に奔走するなかで大事にしてきたこととは。


男女雇用機会均等法施行の前夜、1984年。矢田稚子は高卒で松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)に入社した。初めて就いた仕事は電話交換手。「女性は補助職」という考え方が当たり前だった時代から、矢田は前例のない挑戦と昇進を重ね、女性たちの選択肢を広げるべく変革を起こし続けてきた。活動は会社のなかだけにとどまらず、労働組合の役員、国会議員、首相補佐官へ。立場は変わりながらも、一貫して男女格差の改善について考え続けてきた。その人生の軌跡は、軽快な大阪弁で語られた。

「とにかく『自分の食い扶持は自分で稼ぐ』ですよ。誰かに養ってもらおうっていう気持ちはもったことがありませんでした」

入社時の、忘れられないエピソードを教えてくれた。上司が女性の新入社員たちに「いつごろまで勤める予定か」と尋ね、同期たちが「私は結婚まで」「私は出産まで頑張りたい」と答えるなか、矢田は「えっ、定年って60歳じゃないんですか?」と聞き返したという。

「父母ともに病気をしていたので、アルバイトをかけもちしながら妹と弟を養っていました。今でいうヤングケアラーですよね。高校に行くかどうかも迷ってたぐらいに大変やったんですよ。でも、学校の先生が、中卒で働くより絶対高校に行ったほうがいいと背中を押してくれました。初任給は10万、手取りで8万7000円。よう覚えてますわ」と笑う。自分には何もないからと、ワープロ検定、書道検定、秘書検定など、さまざまな資格取得のため勉強した。その努力が報われてか、電話交換手から人事部への異動を果たし、大きな転機を迎える。

当時、同社の人事部には6分類の仕事があるとされ、社員は、それぞれの知見を問う試験を1年に1回受けることが推奨されていた。一度に最大3科目まで受けることができる。しかし均等法が施行された後も「女性は受けなくていい」という風土が残っていた。矢田は「受けさせてください」と熱意を伝え、見事3科目合格した。

「すると『女性社員もどんどん受けなさい』という風潮になったので、『いらんことせんといてよ』と言う女性たちもいました。今振り返ると、人事部への異動時、珍しいことだったから『人事部長と関係があるのか』と言う人もいたんですよ。もう笑い飛ばすだけやね。いちいち気にしてたら前に進まれへんから。そんなん知らんがな! って(笑)」

彼女が目指していたのは、すべての女性に自分のような生き方を強いることではない。「もっと挑戦したい、働き続けたい」と望む女性たちの希望をかなえること、女性たちの選択肢を増やすことだった。社内に根強く残る男女格差を改善したいと提案書を出すと、「女性社員能力開発室」という人事部長の直轄の組織が設立される。矢田はここで女性たちの職域の拡大、男性同様に昇進できる体制づくりなどに励んだ。やがて労働組合の本部役員に抜てきされ、国内外の組合員の要望を聞いたり経営者と話したりする機会を得たことで、さらに視野が広がったという。「組合に来たら、また男ばっかりやんかと思ったんですけどね。でも諦めずに、不妊治療休暇や、子どもの予防接種・授業参観などで使える休暇制度など、民間初の制度をたくさんつくらせてもらったんです」

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文=清藤千秋 編集=南 麻理江(湯気)写真=若原瑞昌

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