マシュー・ゴーディ・スタラー(73)は16歳のとき、勉強をさぼってぶらついていたダウンタウンで、宝石店のショーウィンドウに飾ってあった恋人の証しを意味する「ステディリング」を見つけた。この指輪で好きな女の子の心を射止めることができるかもしれないと思った彼は、39.99ドルで売ってほしいと店主に交渉。頭金5ドルと週5ドルの分割払いで指輪を手に入れ、女性を口説くことに成功した。
「僕はロマンティストなので」(スタラー)
スタラーはその後、新聞配達、芝刈り、洗車をして週5ドルを稼いだ。そして、毎週土曜日の午前10時に宝飾店に顔を出して指輪の支払いを済ませ、店を手伝うために居座った。
「店では、窓拭きのニーズが常にあったんですよ」
スタラーはそう当時を振り返る。やがて、彼はその店のアルバイトとなって、職人にジュエリーの研磨や指輪のサイズ調整、石留めの方法を教わった。
「職人の作業が本当に好きでした」
スタラーは高校3年生まで、父親が経営する歯科医院の守衛室に夜遅くまでこもって、ジュエリーを修理したり、ロストワックス鋳造(歯科医がブリッジや詰め物をつくる際使用する方法)を試したりして、留め金やリンクなど欠けたパーツを製作していた。ただ、買う必要があるものがあって大手卸売業者に電話した際、ひどくぞんざいな扱いを受けた。
「『何の用だ』と、失礼な対応でしたね」
自分ならもっとうまくやれるとスタラーは思った。彼は高校を69人中68番目の成績で卒業すると、ルイジアナ大学ラファイエット校で1学期を過ごして中退。そして1970年に買った新車ダットサン240Zの荷台で、鋳造職人相手に卸売りを始めた。
「当初扱ったのは、ゴールドのパーツだけでした。それしかつくれなかったからですが」(スタラー)
その後すぐに、ニューオーリンズで廃業直前の宝飾会社を見つけ、その在庫と店内に残っていた陳列ケースを4500ドルの先日付小切手で買い取った。小切手の代金は、父親が大口顧客だった地元の銀行にアプローチをかけ、その融資で何とかした。
数年後、父親が引退すると、オーブンや研磨装置、遠心鋳造機など、すでに山積みになっていた機器類を収容するため、その歯科医院を購入した。
スタラー社が製造に使用する主原料は、金の延べ棒だ。それを溶解し、鋳造用の金合金を1日あたり200ポンド以上製造する。1日あたりの平均注文数は6000件で、品目数はほかのメーカーからの仕入れも含め13万点に及ぶ。スタラーによると、同社の年間売上高は約8億ドルで、8000万ドルから1億ドルの利払い前、税金前、減価償却費前の総利益(Ebitda)を生み出している。フォーブスの試算では、企業価値は少なくとも8億ドルに上る。
スタラー社のウェブサイトは、宝飾関連の道具、ルース(裸石)、婚約指輪、オーダーメイドのブレスレットなど、幅広い製品を紹介している。彼によれば、ティファニー、ハリー・ウィンストン、カルティエに至るまで、あらゆる宝飾小売業者が顧客となっている。最大の顧客はシグネット・ジュエラーズ社で、大手宝飾店のケイ・ジュエラーズ、ゼールズ、ジャレッドの親会社だ。