なぜ今、クラフトへの注目と評価が高まっているのか?

以前、『ミラノと丹後の出逢いから考える「インバウンド以降」の日本』でも紹介した、イギリスの家具デザイナー、デイビット・パイも、ものを作ることの価値について考えたひとりです。1968年の著書『職人技の本質と芸術性』のなかで、大量生産などの製造前に品質が保証されている「確実性のものづくり」と比較して、「リスクを伴うものづくり」という考えを提唱します。

パイは「リスクを伴うものづくり」を「あらゆる種類の技術や器具を使用する作業であり、その結果の質はあらかじめ決定されているのではなく、作り手が作業中に発揮する判断力、器用さ、注意深さに依存する」と定義します。機械を使わないものづくりがもう存在しないからこそ、品質の不確実性を含んだ作業をクラフトとするべきだといいます。

またパイは、優れたものづくりには「自由性」「多様性」があると考えます。自由性とは、考えなしの即興ではなく、確立した技術や品質への責任の上に作られる自発的な価値探究です。多様性は、仕様や性能以上の美的体験をもたらすディテールだといいます。彼はクラフトの持つこのような可変性の価値を自然の摂理に喩えます。

「木の葉は2枚としてまったく同じものはないにもかかわらず、すべての木には種を認識できるパターン性があるように、仕上がりは全体的な仕様を遵守しながらも、ある程度のばらつきを含んでいます」

セネットは15年以上、パイの主張は50年以上も前のものですが、ソーシャルメディアが支える現代のクラフト文化にこそ響くものがあります。ものづくりを始めるハードルが下がり、より多くの人がクラフトを楽しむようになったことで、大量生産のあらゆる「当然」が「不自然」だという認識が普遍化しました。

クラフトを通してものを見始めると、ユニバーサルとローカルが対極ではなく木と木の葉の関係にあることがわかります。ひとりひとりが皆で共有する居場所を育てる責任を持ちながら、その上でそれぞれの立ち位置で自己表現していく。やっと今、それを実感できる精神環境が整ったということかもしれません。ラグジュアリーはこの感覚が最も研ぎ澄まされたエリアであるべきです。

最後に少しセネットに話を戻します。彼は2009年のアメリカ工芸協会のインタビューで、次のように物理的な体験が認知に与える影響に関する研究がまだまだ少ないことを嘆きました。

「言語に長けている人は身体的な経験や手先の器用さによって成長する人よりも才能があると考えられています。現代社会には、手仕事をする人に対する恐ろしい盲目があり、それが階級差別や手仕事に対する蔑視にさえつながっています」

この状況はまだまだ変わっていないかもしれません。しかし、安西さんが紹介していたホモファーベルやインドの学生の様子を思うと、おそらく研究者より先に実践者がこの固定観念を打開していくのではないかと、ワクワクしている次第です。

文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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