アート

2024.08.15 14:15

イタリア企業のアート展示はなぜ「しっくり」感じられたのか?

(Photo by Awakening/Getty Images)

(Photo by Awakening/Getty Images)

アルテ・ポーヴェラといえば、リバプールに住んでいた頃、テイト・リバプールで鑑賞したミケランジェロ・ピストレットの『ぼろぎれのヴィーナス』を思い出します。

高く積まれたぼろぎれの山の前に真っ白なビーナス像が向き合う形で置かれたこの作品は、使い捨てられる廃材と不朽の美を表現する石膏像というユニークな組み合わせで、静と動、永遠と一瞬、不易流行、過去と未来など、さまざまな哲学的コントラストを一瞬にして呼び起こさせるインパクトある作品でした。

アルテ・ポーヴェラは、それまで美術作品には使われてこなかった既製品や劣等品を素材として使うという点で、コンセプチュアル・アートやポップ・アートと関連づけられますが、その違いは素材そのものの社会性やその背後の人間性に向き合っていること、と言えるかもしれません。

例えば、マルセル・デュシャンのレディメイド作品群やアンディー・ウォーホルの『キャンベルスープの缶』を見ても、人間の儚さや愛おしさは想起されないように。

ところで、インパクトの強い作品が多いイメージのアルテ・ポーヴェラでしたが、SAIB EGGERグループのウェブサイトと、キアッピーニのSNSを見て、それとはまた違った静観的で風通しの良い印象を持ちました。安西さんがこの関係性に「しっくりきた」感覚とはこれかな、と想像しました。

両者とも時代の流れに合わせて廃材と向き合っているわけではない。廃材は大切な風景の一部であり、ごく自然にシンプルに表現していることが見て取れます。だからこそ、両者のコラボレーションに、肩に力の入った昔のアルテ・ポーヴェラとはひとつ違った、新しい風を纏っていると感じたのかもしれません。

それは不均衡な関係か?

安西さんも前述されたように、企業とアートの関係性にはさまざまな形があり、アーティストの生活を支えるという点では選択肢が多いに越したことはないと思います。しかし、昨今の実業家や大企業のアートへの不均衡な期待には少し疑問を持ちます。

「世界を変えることをアーティストに期待しているのなら、おそらくそれは見当違いだと思います」

英国のコンセプチュアルアーティスト、ジェレミー・デラーはデンマークのルイジアナ近代美術館が運営する非営利ウェブサイト、ルイジアナ・チャンネルのインタビューで「アートは世界を変えられるか?」という問いにそう答えました。

「かつて宗教がそうであったように、アートは個人的な救いを与えることや、個人単位で人々の人生を変えることはできると思います。社会全体を変えられるかどうか──それはわかりません」
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文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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