シリアルキラーは人間の行動の極限を体現し、本質的に異質で嫌悪感を催す行動や動機を提示する。こうした人物を探求することで、人は正常と逸脱の境界線に対峙し、自分自身の道徳的・倫理的基準を理解・強化するのだ。
2. つながり
多くの人が考えがちなこととは裏腹に、シリアルキラーやその犯行について感じた魅力や嫌悪感、悲しみを共有するという行為を通じて、私たちは他者と共感し、同時に自分自身の人間性を改めて実感できる。論文は、テッド・バンディ、ジェフリー・ダーマー、エドモンド・ケンパーといったシリアルキラーに関する映像作品に寄せられた視聴者コメントについて考察している。「なぜ殺人鬼に病的な好奇心を抱くのか、自分でも理解できない。でも、そうなんだ」
「どうして私はシリアルキラーのドキュメンタリーに夢中になるのだろう。同志はいる?」
「この手のドキュメンタリーはめちゃくちゃ怖くてたまらない。でも、とても面白いと思う」
論文中ではこうしたコメントが紹介され、次のように分析されている。「視聴者は、シリアルキラーという題材に興味を持つ自分自身に動揺しつつも魅了され、不快感をおぼえ、共感してくれそうな他者と心を通わせたい衝動に駆られる。そうすることで、人間性やつながりの感覚を取り戻そうとする」
このような経験や感情反応を共有する感覚は、人々が議論を通じて感情を処理できるコミュニティーを生む。そこで結ばれた絆によって、視聴者は自分の反応や考察、そして病的な好奇心が自分だけに特異なものではないと再認識し、自らの人間性を再確認できる。
3. 保護
オンラインコミュニティーでのシリアルキラー談義は、コミュニティー内のさまざまなルールも相まって、残虐な犯罪行為から人々の心を守る効果をもたらす。論文では、Redditのフォーラム「r/serialkillers」がシリアルキラーを美化したり、彼らとコミュニケーションをとろうとしたりする行為を禁じていることを事例として挙げている。こうしたルールは、尊敬と分析に基づいた議論に集中し、不健全な美化や強迫観念を防ぐのに役立っている。