2024.06.20 10:15

20代で「消滅可能性都市」奥尻島に移住。 観光客を呼び10人の移住者を生んだ方法

北海道の奥尻島

「おいしい空気、食、静寂、暗い夜、波の音。幸せになる要素はすべてここに揃っています。毎日、幸せな生活ができる奥尻島に感謝。東京の方が個人的には不便な生活だと思います」

2018年に北海道の奥尻(おくしり)島に移住し、アクティビティーガイドとして活躍する外崎(そとざき)雄斗さんは、そう嬉しそうに語ってくれた。

奥尻島は、北海道の南西端にある周囲約67.5kmの島。観光の目玉は、北海道の海流が育んだウニ、アワビ、イカなどの豊富な海の幸だ。アクセスは、札幌市にある丘珠空港または函館空港から1日1便の飛行機で約30分。もしくは函館北部の江差町から出港する1日1〜2便のフェリーで約2時間である。

そんな奥尻島は、「最終的には消滅する可能性がある」という消滅可能性都市に位置づけられている。人口は30年前の4800人から半減し2410人(令和2年国勢調査)。外崎さんは、なぜこの島に移住したのだろうか。

限界集落でゲストハウスを開業

外崎さんの夢は、高校の教師になることと、ゲストハウスを運営することだった。

大学時代、1年間休学してバックパッカーとして世界を旅した外崎さんは、世界中の旅人や現地の人と交流する中で、「人生の選択肢は無限にある」ということに気付き、日本で”可能性”を多くの人に届けたいと思うようになった。

奥尻島との出会いのきっかけは、釣り好きの父親がこの島の民宿に通っていたこと。その民宿はオーナーの高齢化で廃業が決定し、最後の宿泊客が父親だった。外崎さんは父親から廃業の話を聞いてこの地に興味が湧き、父親とともに初めて奥尻島を訪れた。

「どこか寂しく活気のない印象があったものの、不思議とこの島に呼ばれているような気もしました」

そこで、民宿を継承してかねてからの夢だったゲストハウスを運営しようと考えた。ただ、民宿のオーナーには「本当にここでやるのかい?」と心配された。それもそのはず、外崎さんが開業しようとした場所は、神威脇(かむいわき)地区という20人ほどの限界集落だった。半径15km圏内に飲食店も商店も何もない。

ただ、外崎さんはこの場所に運命を感じ、迷いなく決断。初めての訪問から2カ月後、2018年1月には2人の子どもを連れて家族4人で移住した。笑い話ではあるが、移住当日の船の中、奥さんから「奥尻島ってどこにあるの?」と言われたそうだ。そのぐらい外崎さんが信用されていたとも言えるだろう。

この年の4月、民宿はゲストハウスimacocoとして生まれ変わった。ただ、当初はやはり集客に苦労し現在の1/10程度だったという。繁忙期の夏休みでも”宿泊客0人”の日があった。特に観光客に若者が少ないことが課題だった。

「調べていくと、若い人たちには奥尻島を知らず、なんのイメージもないようでした。当たり前ですが、名前の認知すらない場所に旅行はしない」

そこで外崎さんは東京で離島関連のイベントに通い、奥尻島に関心を持ってくれそうなコミュニティやイベントに対して、丁寧に認知を広げていった。村おこしNPO法人ECOFFによる村おこしの受け入れなどにもつながった。外崎さんには、一度遊びにきてくれたら好きになってもらえる自信が、どこかにあったのだろう。
村おこしNPO法人ECOFFから村おこしの受け入れを開始。人口20人程度の限界集落に多くの若者が集まる
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取材協力、写真提供=外崎雄斗

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