映画

2024.03.11 13:15

是枝監督が本音で語る 「映画とビジネス」の意外な接点とは?

血縁の呪縛から、真の家族像の在り方へ

谷本:ここで、是枝監督が考える「家族の在り方」について深掘りさせて下さい。本日のイベントと絡めて考えた場合、会場にいらっしゃる皆様は、経営者でいらっしゃいます。日本の経営って、「家族的な組織」と言われていました。その後、欧米的な資本主義の流れを経て、現在は原点回帰し、「やっぱり家族的な組織作りが良いよね」という流れに。この考え方は、日本だけでなく、世界がそういった方向性に向かっているような気がします。そこで、日本経済を牽引するリーダーの皆様に、何かヒントになるような、「家族の在り方について」2点伺いたいです。

1点目は「どういった思いで、映画の中で家族の作品を撮られてきたのか?」2点目は「日本映画で、日本人としての是枝監督が撮った家族像は、どのようなメッセージがありますか?」です。



是枝:とりわけ特殊だったり特別な家族観は、ないです。家族を描いた最初の作品は、2004年のネグレスト問題を扱った『誰も知らない』でした。親がいなくなった子供4人のストーリーで、長男が父親的になり、長女が母親的な役割を担うっていう。子供達が大人のいない世界を漂流していく話。親に捨てられた子供を描こうという意識だったから、僕の視野には家族というものが明確にあったわけではなかった。

その後、2008年の『歩いても歩いても』という阿部寛さんと樹木希林さん親子を軸にしたホームドラマを作ったのですけど、家族を強く意識したのは、これが最初でした。

とはいえ、「こういう形が日本的な家族だ」という発想を持って作品に向き合った事はないです。僕自身、映画監督を反対していた母親が亡くなった時に色々な想いがよぎりました。母は常々、安定した公務員になれと僕に言ってたけど、僕は、公務員にならずテレビ業界に入り、映画の道に進んだんです。

そんな僕がようやく映画で生活を続けていけるかなって思った2004年の『誰も知らない』を撮っていた時。既に父親は亡くなっていて、母親は倒れて意識がない状況。そして、安心させる前に母親も亡くなってしまった。以来、僕としては「間に合わなかったな」という想いをずっと抱えていたのです。だから、脚本に向き合った時、自責を持った作品が生まれたのかもしれません。その結果、映画の中で「家族」という器を利用しながら、「後悔」という想いを描いていたのです。



その後、『そして父になる』という作品が2013年かな。「家族は、血がつながっているだけでは駄目だ。時間の共有が濃密にないと難しい」と思った事がきっかけで、子供の取り違え事件を題材にしました。血の繋がりのない子供を6年間育てた父親の話を作りました。その辺から意識的に家族や血の繋がりが何なんだろうかと強く意識を持ち始めたのです。

2点目のご質問ですが、日本的な意識は全く考えてないです。昔のアメリカ映画を見ると、父親を中心に家族が結集せねばならない、みたいなメッセージを感じましたが。
僕がやっているのは「こういう集団も家族と呼んでもいいのではないか?」という問い掛けだと思います。
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文=中村麻美

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