それは既存の「職業一覧」や「肩書き」である。
たとえば、私が苦労するのは官公庁や大手企業のアンケートに答えるときに自社の会社に当てはまる項目がないこと。また、肩書きも当てはまるものがない。Forbesのコラム名もポリネーターと書いているが、私自身はポリネーター(受粉者)として交配させたら面白いことが起きそうな人々、企業をつなげている立場なのだが、もちろんそんな「肩書き」が存在するアンケートなどない。
私の例は職業を軸にしているが、他にも「大人」と「子供」の定義や、「アーティストの役割」「学歴の意味」など現在日本で一般的に解釈されている定義と本質が乖離しているケースが増えてきているように感じている。言葉についての洞察が深い小塚氏はこのような現象をどのように捉えているのだろうか?
小塚:「理系文系芸術系みたいな分割が、個人の資質・能力の可能性を矮小化していると思っています。既存の分類のはざまにある豊潤なグラデーションの、その重なり合うところに人の濃密な面白さがある。「肩書き」という言葉が持つ意味や、それが社会でどのように受け入れられてきたのか、言葉の役割自体を考え直すことが、トランスクリエーティブな考え方です。
江戸時代の英和辞典を持っているのですが、そこには「ラブレター=艶書」、「ジュース=汁」、「ケーキ=円形ノ餅類ノ総称」、「キャビネット=密談」と書かれています。今の辞書で紹介する内容とはニュアンスが微妙に違っていて、江戸時代の文化に応じた言葉の役割が垣間見えます。言葉は時代や文化の様相を反映し、人の考え方に影響を及ぼすものだという、言葉自体へのリテラシーを持つことはとても大事だと思います。
現在我々が何気なく使っている「社会」や「教育」「自由」「権利」「個人」「科学」などは明治時代に近代国家形成に向けて外国語から日本語に翻訳された概念です。それからもう150年以上も経つわけで、私はそろそろ新しい時代を語る新しい日本語を作っても良いのではないかと考えています。パターンマッチではない全く新しい概念や文脈作りはAIにできないことですから」
確かに、自分の「肩書き」以外にも窮屈に感じることはある。私たち人間が行うべきは、AIに学習させる辞書そのものの改編なのかもしれない。今ある違和感を、塗り替えていくべき時なのかもしれない。
新たな辞書編纂の構想にワクワクしている私に、小塚氏は能の世界を例に話を続ける。