三宅氏は現在の世の中が言語(テキスト)に頼りすぎであることも指摘し、ジェスチャーを含む身体性を伴うノンバーバル・コミュニケーション(非言語コミュニケーション)に注目する。また、常に同期されていることに対しても疑問を投げかける。
三宅:「これから物理空間の社会とデジタル空間の社会活動が対等になってくると思っています。私たちは物理空間が堅牢と思って生きていましたが、感染症が来ると物理空間の活動はとつぜんストップしてしまった。コロナの体験は社会のトラウマになっていると思います。なので、いつ物理空間が止まってもデジタル空間で仕事が進めていけるように社会を二重化しておくのが重要です。ただし、デジタル社会のインフラも、私たちのメンタリティーもまだまだ社会の二重化に追いついていない。私達は今まで、同期コミュニケーションを軸としていましたが、非同期コミュニケーションも当たり前と捉えるのが大事です。メタバースの良いところは、非同期でコミュニケーションが起こせることです。自分がいない時にもペットがいて他者の訪問に対応してくれる。
そして、ノンバーバルコミュニケーションも、もっとデジタル空間に染み込んでくべきものと思っています。『あつまれ どうぶつの森』などはほとんどジェスチャーでコミュニケーションできます。実は人間のコミュニケーションは、6割ぐらいはジェスチャーでOKなんですよね。後は用件だけを伝えればよい。ただ。現在は逆転してしまっています。特にインターネット文化は言葉の文化が主流です。言葉だけが中心となると、案外もろいんですよね。人間関係が崩れたときに修復が難しい。ジェスチャー中心のオンラインゲームであれば、喧嘩をしても、一緒に歩くだけでも仲間意識が芽生えます。デジタルの身体で、ノンバーバルコミュニケーションを中心に行なっていくことにより、いろんなチャンネルが開けてくると思うんですよね。」
確かにソーシャルメディアが分断を生んだとは言われるが、それは売り言葉に買い言葉、言葉を軸に分断が起きているとも言える。ノンバーバル、ジェスチャーでもコミュニケーションができるようになると分断が起きづらくなりそうである。
物理空間とサイバー空間の中立空間で、ノンバーバルコミュニケーションを中心とすることにより戦争の火種も最小化することができるのではないか、と話を聞きながら感じていた。
日本には「あわい」の空間がある。外と中の間の場であり、縁側が良い例だ。この中立領域で遊んだり、食事をしたり、何も言わずに庭を眺めたりすると心が穏やかになる。この縁側のような存在が物理空間にも必要であることは縁側で日向ぼっこをした穏やかさを感じたことがある人には伝わるのではないか。